2011年
8月
10日
水
7月7日に行われた全国山岳遭難対策協議会は、これまでの「遭難救助の活躍」を紹介する場から、遭難を減らすために何ができるかを考える場へと少しづつ姿を変えつつある。公的な協議会の後には、有志団体による「減遭難」を掲げたシンポジウムも開催され、日本山岳協会、日本山岳ガイド協会、国立登山研修所の代表が参加し、減遭難のために何ができるかを、それぞれの立場から主張し、またフロアからも活発な意見が出された。
「これから何ができるんですか?」というフロアからの至極全うな質問が出た。残念なことにそれに対して具体的に答えた人はいなかったし、遭難対策の前線にいない僕にも答えはなかった。ただ自分が深く関わるポジションとして、未来の遭難を防ぐためにできることとして、自然体験を活用した教育・啓発の機会作りとその基礎的な資料づくりには、間違いなく貢献することができるだろうと思った。
学校では地図に関することは社会科で学習する。しかし、日常で最も多い用途であるナヴィゲーションに活用することは少ないし、またそのスキルを学ぶチャンスもほとんどない。その一方で、学校では遠足や林間学校、修学旅行といった未知の屋外に出かける活動が多々ある。多くの記憶の人の中でそうだろうが、これらの中で地図が有効に活用されているとは思えない。たとえば、地図が最も有効であろう遠足の登山でも、事前に地形図が渡され、それを検討した記憶がある人がいるだろうか?ほとんどいないのではないだろうか。しかし、自分で距離を測ってみる、登りがどれくらいで傾斜がきついのかどうかは地形図を見れば分かる。記号の学習と絡めれば、危険な箇所の想定さえできる。まさに総合的学習である。発問をうまく用意してやれば、子どもたちでも楽しく取り組めるはずだ。
実は、かつてそのような実践を小学校の自然体験の前に行ったことがある。日本の多くの学校で、5年生での自然体験が行われる。ただ引率されて山に登るよりも、自分で地図を見ながら登る方が、自発的な意欲が期待できるし、安全教育にもつながるだろう。きちんとしたマニュアルを整備して、ぜひ広げたい活動である。
このように、登山の中には、現代の学校教育の目標や学習指導要領に示された内容に関するものがいくらでもある。それらを整理して登山の学校教育における有用性を現代的に示し、それが実践されることは、将来の潜在的登山人口の安全を高めるためにも有効ではないだろうか。
2011年
5月
09日
月
今回の表題は、だいぶ前に出された本のタイトル(出版は日経BP)だが、再度ぱらぱらとめくってみて、驚くほど地図やナヴィゲーションに対する評価が高いことにびっくりして紹介することにした。
著者の吉田たかよし氏は、医師であり、元NHKアナウンサー、また衆議院議員の公設第1秘書も務めた経歴を持つ。その彼が成功の秘訣として指摘するのが、地図的な思考である。頭に地図を描くことで、新しい発想が生まれたり、ブレークスルーを見つけだしたり、暗記中心の勉強法に革命を起こすことができるというのが内容の骨子だ。近年これは、「空間的思考」というテーマで地理学や認知心理学の研究テーマにもなっているので、彼の思いこみという訳でもない。
ナヴィゲーションという視点から興味深かったのは、NHKの新人アナウンサーの最初の研修が、仮想の地図上の道のりを言葉にしてパートナーに伝えるものらしい。簡単そうに見えて実は意外に難しい。僕も、まだ携帯電話が普及しなかったころ、一人にオリエンテーリングのコース地図を持たせ、もう一人にはコンパスだけを持たせ、トランシーバーを使って遠隔操作のようにして、コンパスだけでコースを回るというゲームをやったことがある。この場合は実際に移動するという要因が加わるので、地図を言語化し、その限られた情報と現地とを対応させて、間違いなくポイントを目指すというさらに複雑な課題が加わる。自分の情報処理能力を試す格好のトレーニング材料であり、僕たちで開発した研修でも利用している。今なら携帯電話を使えば、誰でも経験できる。
地図思考の実践トレーニングとしては、「オリエンテーリングが最適だ」とさえある。もちろん、忙しいビジネスマンには「街角オリエンテーリング」でもよいとフォロー。
地図的な考え方や地図を使うメリットを再認識させてくれた。
2011年
4月
11日
月
すでにだいぶ前のことになってしまったが、2月中旬に朝霧野外活動センターで講習を受け持った。ナヴィゲーションスキルの重要性を認識したセン ター職員が毎年の野外活動指導者講習会の中で1日以上の時間をかけて、みっちりナヴィゲーションスキルを指導者に伝える場を作ってくれた。登山・ 野外活動、いずれにしてもナヴィゲーションは本来不可欠のスキルであるし、またそのための地図読みができれば、事前に活動エリアのリスクを把握す ることもできる。当たり前のことが、少しづつ広まりつつある。
今年の講習初日はあいにくの雪で、大学生も含む受講者の装備を考えると、外での長い時間の活動は現実的ではなかった。翌日の屋外実技の実施すら 危ぶまれた。でも、雪は雨よりはましだ。むしろ好ましくもある。夜の等高線読みの講習では、屋外の雪をかき集めてブルーシートの上に積み、即席の 山を作った。絵の具で等高線を引くと、地形と等高線の対応がとっても分かりやすい。上から写真を撮ると、水平かつ等間隔に引いた線が、地図の等高 線になっていることがよく分かる。
翌日の屋外実技も、積雪を最大限に利用した。センターの庭にある築山につもったばかりの雪の上で水平に歩いてもらうと、等高線らしきラッセルの 後ができる。体験が知識の定着を促進するとすれば、これ以上の体験もあるまい。定番の地形と地図の対応も、雪がふると、地肌と枝のコントラストが はっきりするので、地形が遠目にも際だって分かりやすいくらいだった。
時には悪天候も悪くないものだ。
2010年
9月
30日
木
NPOのイベントで富士山麓でロゲイニング大会を開催することになった。火山防災を専門にする同僚のつてもあって、富士山周辺の等高線と赤色立体図のデータを入手、利用することができた。提供した地図の仕上がりは我ながら上々だった。通常の地図と赤色立体図を重ねた地図を比べれば一目了然だが、赤色立体図には通常の地図では捨象された地形に関する情報が余すところなく表現されている。イベント前は、地図が読めない人向けの補助と考えていたが、オリエンテーリングでも活躍する優勝チームは、積極的に赤色立体図を活用した。等高線では表現されない地形の連続性が表現されているので、役に立ったらしい。確かに私たちなら、等高線の間にある連続性をなんとなく頭で補って地形をイメージすることができるが、そこには注意力や心的努力が必要だ。だが赤色立体図なら、そうした努力は全くいらない(少なくとも熟練者には)。その分、ナヴィゲーションの本質的な作業にエネルギーを割くことができる。
また、赤色立体図を見れば、「等高線から地形がイメージできる」ことが、具体的にどういうことなのかを、初心者に疑似体験してもらえる。私たち熟練者は当たり前のように、「等高線から3次元がイメージできるんだよ」というが、それができない人(あるいはできているかできていない人)には、「3次元にイメージできる」ことが一体どういう心的状態なのか見当もつかないだろう。しかし赤色立体図をみれば、視覚体験としてそれが実体験できるはずだ。
導入を決める前には、「こんなものを使ったら、私たちが大事にしているスキルが不要になってしまう。登山者を甘やかすことになるのではないか」という思いが頭をよぎったが、実際使ってみると、その心配は無用に思えた。地形が3次元的にとらえられることで、それをどう山登りに使うかという、ナヴィゲーショ
ンの本質的な部分がより多くの人にとって身近なものになるだろう。
2010年
8月
24日
火
ここ3カ月の間に、期せずして3つの依頼を受けた。そのいずれもが、山岳地域で活動するプロフェッショナルに対するナヴィゲーションスキルの提供に関するものであった。6月には、静岡市消防に、山岳救助隊のためのナヴィゲーションスキルの講習を行った。静岡県では、昨年、山岳遭難人数がほぼ倍増した(一部特異な事故もあるが)。そのこともあってか、南アルプスをかかえる静岡市では、今年から山岳救助隊が正式に発足した。その隊員を含めた100名を越える消防隊員が(自主受講も含めて)受講し、関心の高さを感じさせた。
7月には国際山岳認定医のための講習会を立山で行った。ヨーロッパの山岳国では、山岳遭難の現場に赴き、いち早く医療活動に当たることで遭難者の生命を助ける山岳認定医という制度がある。過酷な自然環境に出ても救助隊の足手まといにならずに自律的に活動できる医者の養成が目的である。彼らのスキルにナヴィゲーションは直接関係ないが、場合によっては救助者の搬送を優先する救助隊に置き去りにされることもあるだろうし、場所の地図を見て現地の様子が分かれば、それだけ的確な準備も可能になる。研修は10日以上の宿泊研修を含むハードなもので、来年の春には日本初の山岳認定医が誕生する。
もうひとつの依頼は、山岳ガイドに関するものだった。昨年のトムラウシの事故以来、山岳ガイドの資質に対する世間の目は厳しい。彼らが持つべきスキルの標準化を進めようというのが、山岳ガイド協会の考えのようだ。その中には当然ナヴィゲーションスキルも含まれている。私の実感でも優秀なガイドでもナヴィゲーションスキルに対してはやや甘さがみられる(彼らは道に迷ってもびくともしない生活技術を持っていることが、ここではマイナスに働いている)。彼らが地図読みをはじめとするナヴィゲーションスキルを的確に持つことは、登山界全体にも大きな影響力があろう。
ナヴィゲーションが山岳のプロフェッショナルの間でのスタンダードスキルになることは好ましい。彼らの仕事に対してより高い貢献ができるナヴィゲーションのスタンダードづくりは、私たちの責務であろう。
2010年
5月
09日
日
5/15に、大学の公開講座の一環として、登山家の岩崎元郎さん、県警の眞田山岳救助隊長を招いた講演会を行った。眞田さんの話しは、安全に還るための7箇条なのだが、そのうち2つは、山岳遭難救助の現場に立つ人として、生々しい話しとともに、教訓の多い話しだったので、そこに焦点を絞る。
①遭難通報は本人が110番か119番へ
現在約半数を超える遭難で、携帯電話による救助要請が行われている。この時、所轄の警察署に電話したり、自宅を介して通報すると、直接110番や119番に電話するよりも救助が遅れる可能性がある。現在多くの警察・消防で位置探知システムを導入しており、最近の世代の携帯では電話した場所が比較的容易に特定できるようになっているからだ。自宅はもちろん、所轄の電話(0***-***-0110であることが多い)でも探知ができない。遭難者は多くの場合自分の場所を特定して伝えることができないので、この探知機能がないと、場所の同定に時間がかかることになってしまうのだ。
なお、静岡県警は残念ながらこのシステムの導入は来年3月なので、それまでは消防の119番の方が、位置把握が早いという裏話のような貴重な情報も・・・
②ヘリに発見される工夫
救助のヘリが飛んでもなかなか発見できないという話しは山岳遭難ではよく聞く。眞田さんのプレゼンで見せてくれた写真でも、遭難者を写真中に発見できた受講者はほとんどいなかった。冬枯れの山で赤いヤッケを着ていてもである。こんな時サバイバルシートが役に立つということだ。別の場所では、「煙を上げるのもよい」、「木を揺する」と聞いたことがある。とにかく目立つようにアクティブになること。そこがポイントのようだ。
2009年
12月
04日
金
風水害や地震、火山爆発に備えたハザードマップが各地で作られている。火山情報については「風評被害につながる」として反対されてきた時期もあるが、潜在的な危険に関する情報が、一般市民にも提供されるようになったことは、防災上も望ましい。
だが、地図を配ればそれが市民の防災力に直結するだろうか。地図の教育や地図作成に携わっている身からすれば、通常の地図でも理解や利用は難しい。まして、ハザードマップのように予測的・集約的表現の理解が一般市民にトレーニングなしにできるとは思えない。私自身、そういう疑問からハザードマップの読み取りに関する研究を積み重ねてきたが、最近でた日本国際地図学会の学会誌「地図」にも、ハザードマップの読み取りに関する研究成果が報告されていた(高井、2009)。
この研究では、防災のワークショップに参加した市民34名を対象に、名古屋市で発行している地震ハザードマップから、自宅を読みとる課題を与えた。ハザードマップの基図は都市計画図なので、建物一つ一つを同定することが可能であるが、制限時間で正解(70m以内とされている)したのは、約8割であり、6名が間違えていた。間違いの多くは似たような道路形状の近くの場所だと誤同定したものであり、周囲の公共施設などのランドマークがないと起こりやすい。このような誤同定のパターンは、屋外での現在地把握実験の結果と似ている。似た場所の候補から一つの正解を絞り込む検証プロセスは、地図上だけでの現在地把握でも重要なようだ。
アウトドアでも現在地把握の失敗は遭難につながる危険性のあるミスだが、ハザードマップにおいても、避難の失敗につながる可能性もある。防災力やリスクマネージメントという視点でも、地図を読む力の教育は不可欠だ。
参考文献:高井寿文 (2009) ハザードマップ基図の読図と地図表現との関わり 地図,47(3),1-7.
2009年
12月
01日
火
前々から折り紙で地形を作るアイデアはあった。折り紙用語でも山折り/谷折りという言葉がある。山折りや尾根に相当するし、谷折りは文字通りの谷に相当する。山や谷に折った折り紙に等高線を書き加えてやれば、等高線と地形の関連も理解しやすいだろう。
最初は単純に対角線を山折りにし、縦横の中心線を谷折りにして、4つの尾根があるピークを作った。しかし、これではいかにもおもちゃ臭い。もっと複雑な地形を作ることができないだろうかと思って作ったのが、これ。長い尾根だけでなく、尾根の曲がり、尾根の分岐、はてはテラス状の平坦な地形まで、かなりの表現力がある。
地形を折るための工夫の一つが、金紙・銀紙を使うこと。このアイデアは、たぶんレクリエーション指導法で七夕飾りを学生と作る機会が毎年あったのでひらめいたのだろう。銀紙・金紙は半面にアルミ箔がついているので、折った形がぴしっと決まる。地形づくりに欠かせない中途半端な折り方でも大丈夫なのである。
この模型は自分でも傑作だと思い、周囲に言いふらした。下級生に指導する経験を持つオリエンテーリングのトップ選手は「粘土は使ったことはあるが、面倒で手も汚れる。これは画期的」と絶賛。地理教育を専門とするある友人が、小学校6年生になる娘にその写真を見せた。彼女曰く「とがっているところが谷で、丸くなっているところが尾根」といったのだ。確かに、実際は尾根が丸くて、谷がとがっているからなあ・・・。裏返しにすれば簡単だが、それではすり鉢状のあまりリアルでない地形になってしまう。
半日悩んで、思いついた。「そうだ!手前から折るから尾根がとがってしまうのだ。裏から織り込んで谷を折って作ればいいのだ。そうやってできたのが
谷から折るとたかが折り紙なのに、涎がたれそうなくらいのリアリティーが生まれた。日本の地形は谷がえぐれてできる。だから谷をえぐるようにして作ることでリアリティーがでる。これも銀紙だからこそできる技である。そんな話しを高校登山部の顧問の研修会で美術の教員の方に話したら、「彫刻も似てますね」と感心してくれた。
たかが折り紙がここまで進化するとは、始めた時には考えもつかなかった。
2009年
10月
01日
木
7月上旬に、恒例の山岳遭難の概況が警察庁から発表された。今年も「過去最悪」。125人増加の、1933人だ。2000人の大台に乗るのも時間の問題だ、というよりも、このままなら間違いなく来年は2000人台だろう。6-7月にはニュースになった遭難が相次いだし、静岡では3月下旬に39人の遭難騒ぎもあったから。道迷いの増加数は全体の増加数を超える141名。とうとう道迷い比率は40%近くまであがり、これも過去最高比率。山と渓谷誌では、11月号で、緊急特集を組むそうだ。
現状分析の原稿を依頼されたが、前のコラムでも触れたように、一昨年のデータを原データに戻って分析した僕からすれば、「ちょっと待てよ」というところだ。本当に登山の道迷いが増えているのだろうかという疑問がわく。公表された概況をよく見ると、遭難数の伸びは6.9%だが、登山の遭難数の伸びは3.2%に留まっている。その変わり山菜採りの遭難数の伸びは15.8%だ。山菜採りの遭難に占める道迷いの比率は登山のそれを遙かに上回るので、道迷い遭難の大きな伸びはひょっとすると山菜採りの遭難数の増加に影響を受けているかもしれない。同様に、中高年の比率も81.1%と過去最高レベルではあるが、ここにも山菜採り遭難の影響があるかもしれない。イメージ的にも山菜採りには若い人よりも中高年が多いと思われるが、実際にもそうだ。なんと山菜採りの場合、中高年比率は98%を越える。山菜採りの遭難が増え、それが一方で中高年の比率を上げ、他方で道迷いの比率を上げているというのは十分考えられる話だ。元々、中高年の登山人口は多い。レジャー白書のアンケート調査を元にすると、登山人口の中に占める中高年の割合は77%程度になるのだが、本州中央部の登山目的に限ると、多い多いと言われている中高年の遭難数は、中高年の登山者人口から予測される割合から統計的に差があるほど多くはない。60歳以上の高齢者では、それどころか、統計的に差があるほど少ない。つまりは中高年の遭難が多いと言っても、登山者が多いからであって、リスクという意味では、むしろ若い層の方が多かったりする。実際道迷いの比率は中高年よりむしろ20-30歳代で多い。
そんなことを思い出しつつ、安易に「道迷い遭難多発!」「中高年の安易な登山が原因か?」と短絡的な思考に陥いることに釘を刺す記事とした。
2009年
7月
27日
月
「地図くらい読めないふりしてあげよう。」最新号のan-anの広告ポスターのキャッチコピーである。このコピーに対応する記事がどこかにあるのかと思い、本屋の女性誌コーナーで恥ずかしい思いをしながら隅から隅まで読んだ。記事は発見できなかったが、この雑誌が、自分をかわいく見せることが主眼の一つである女性誌であることは分かった。
このコピーが秀逸なのは、「地図が読めないのは女の子っぽくてかわいい」というステレオタイプと、その裏に「でも、本当は読めるんだ」という肉食女子系のイメージが綺麗にマージされている点だ。
実際、心理学の研究でも、自己評価の質問紙では方向感覚の男女差がきれいに出るのに、実際に地図を読ませたり、ナヴィゲーションをさせたりすると、結果は一貫しない。僕が最近手がけている登山者のデータでは客観テスト、自己評価ともにほとんど差が見られない。差が見られたのは「地形のイメージ」「可視判断」(地形図中の2点間が互いに見えるかどうか)、そして「コンパスの利用」の3項目(全10項目
中)である。これらはいずれも過去の研究でも指摘されている「視点の変換」を伴う項目である。それより高次で実践的な「ナヴィゲーションの読図」では差は見られなかった。本当は差がないのだが、女性は社会的環境の直接の影響か、それに無意識に影響されて、方向感覚やナヴィゲーションに関する自己概念が低くなっている可能性があるということだ。逆に、僕の被験者が、いずれも登山者で、かつ自主的に研修会・講習会に参加した人だという点も影響しているだろう。
女性の唯一の弱点である「視点の変換」は、確かに等高線から地形をイメージしたりするのに欠かせない。しかし、実際に山の中で現在地を把握したり、ルートを維持するのに、立体的なイメージは必要ない。尾根・谷が分かれば十分だし、それは等高線の平面形状から十分把握可能である。「ナヴィゲーションの読図」に差がないこともそれを証明している。
あなたの近くの「地図の読めない女」も「読めないふり」をしているのかもしれない。
2009年
7月
17日
金
昨年登山研修所の研修会で、山野でのナヴィゲーションに関する18項目からなる質問紙と地形図を使った客観的テストの調査をさせてもらった。質問紙をを統計的手法でまとめると、「地図・コンパスの携帯」「地図の基礎知識」「ナヴィゲーションスキル」「コンパスの利用」「道迷い」という、妥当性が高いと思われるカテゴリが得られる。自己評価の得点もこの順に下がる。つまりは携帯はしていても地図のことを知らず、ナヴィゲーションに使えるかとなるとさらに肯定的な回答は減り、コンパスはもっと使えないということだ。かなり実感に近い結果だった。
驚いたことに男女差はなかった。全体をまとめるとあるのだが、男女は経験年数の分布が違う。経験年数0年、1年、2,3年、いずれの群についても男女差が見られない。この手の質問紙では男女差が出て当たり前という先入観に囚われていた。さらに粘って、経験年数で分けて客観テストの成績を分析したら、こちらにも差がなかった。空間認知関係の研究では、質問紙では差があるが、客観テストでは一貫した結果が得られないというのが一般的な知見だが、客観テストでも自己評価でも差がないのは驚きだった。
次に経験年数によってスキルがどのように変化するかを見た。自己評価は驚くほど綺麗にでた。利用暦0年では、全てのカテゴリにおいてスキルが低いが、「地図・コンパスの携帯」「地図の基礎知識」「ナヴィゲーションスキル」「コンパスの利用」の順だった。経験年数が1年になると全体的に向上が見られるが、特にコンパスの利用についての得点が上がる。さらに経験年数が2,3年になると、「地図の基礎知識」がぐっとあがり、地図・コンパスの携帯と遜色なくなり、頭打ちとなる。それが4年以上になると、向上は「ナヴィゲーションスキル」に及ぶ。しかし、ナヴィゲーションスキルもコンパスも4年以上になっても、地図の基礎知識のレベルまでは上がらない。地図やコンパスを実践的に使うという点では、現在の環境下では経験だけではなかなか進歩しないようだ。似たようなパタンは客観テストにも得られており、比較的単純なスキルだと思われる高低判断、尾根・谷の識別には差がなかったが、尾根線/谷線識別という少しレベルアップした課題では差があった。ただしその差は0年とそれ以上の間にあって、それ以後にはない。一方、もっとも実践的だと思われる地図と風景課題は得点が低く、また経験年数のよって向上もしない。ほぼ自己評価と対応した結果となった。
もちろん、これは一般的にそうしたスキルを要求されない山行のスタイルが圧倒的に多いことと無縁ではないのだろう。しかし、このことは同時に、ひとたび「現在地の把握」を問われたり、進路の維持の努力が必要な状況になると、彼らが容易に窮地に陥ることは想像に難くない。
2009年
6月
08日
月
6月の上旬に、富山の大日岳周辺の調査山行を行なった。その帰路、厚い藪に覆われた複雑に分岐する尾根を、登山研修所の専門員の方と地元のガイド組合長の方と一緒に下った。冬場の研修場所なので、彼らも冬には入ったことがあるが、夏場は登山道もなく、彼らも入ったことはない。
基本的には彼らがGPSや記憶を頼りにルートを先導してくれるが、測位の任務が終わった後、僕も地図を読むことにした。それは図らずも、GPSと読図・コンパスの力比べとなった。
背丈を超える藪の中、しかも霧のため視界は200m以下で、遠望は利かない。しかし、高度計とコンパスがあれば、地形の特徴的な部分を地図から読み取り位置を確認し、進路を保つことはできる。一見地図には明確な特徴がなくても、尾根の方向の変化や地図では隠れているピークも、等高線を丁寧に読めば読み取ることができる。さらに高度計を使えば、かなりの精度で位置を確認できる。ところどころで現在地をGPSで確認したが、ほぼピンポイントで現在地は把握できていた。
GPSの弱点もよく分かった。GPSで現在地を把握しているはずなのだが、特徴のない分岐で方向が変わる時には、彼らはそれまでの尾根の方向や動きやすさによって、間違えた方向に進んでしまうことがある。もちろん、現在地は常に捕捉できているので、少し進むとおかしいと気づく。しかし、藪で下り基調の尾根だと、それはかなりのロスにつながる。
HさんのGPSには10m等高線のデータが入っている。基本的には情報量が地形図と変わらないはずだが、トレースの過程でほんの少しだけ等高線が丸められているせいなのか、地形図に比べて隠れたピークを読み取りずらい。電子コンパスはあっても、ちょっとした反応の遅れが、方向に対する厳密な意識を阻害しているのかもしれない。
もちろん、読図にも弱点がある。地形が曖昧であったり、隠れたピークや高低差が多重に現れると、地図読みだけでは自信がどんどん低下する。それに対してGPSでは誤差が累積することはない。また、地図読みでは不用意な曲線的な動きを避けなければならないので、あえて藪を突っ切らなければならない場面も出てくる。
結局のところ、どちらが勝ち・負けという訳ではない。GPSだけでは不十分、読図もできないとダメだ。そうは言われているけれど、具体的にGPSがどんな場面に弱くて、それをどう補えばいいのか。今回の山行は、期せずしてそれを実践的に確認する場を与えてくれた。
2009年
5月
26日
火
学力低下などが問題視される日本の学校教育だが、諸外国と比較しても授業の質は高いという。サッチャー政権時に取り入れられたイギリスのナショナルカリキュラムは、日本の学習指導要領に範をとったものだと言われるし、学校で教員同士で行なわれる研究授業も、日本の授業の質を向上させるのに大きく貢献したと言われている。研究授業は、普段は見ることはできない他の教員の授業をみるよいチャンスだし、それによって自分では気づかないでいた自分のくせや改善のポイントを自ら発見する機会となる。
読図やナヴィゲーションへの関心が高まり、自分自身の指導する場面が増えると同時に、周囲にいる仲間たちもそのような活動に従事するチャンスが増えた今、もう一度自分の指導を振り返り、また他者の指導場面を見ることで読図とナヴィゲーションの指導をブラッシュアップしたいという思いが高まり、ブラッシュアップのための研修会を行なった。
場所は、普段から指導や取材に利用している奥武蔵。活動をともにするチーム阿闍梨のメンバーの他にも、このような活動に興味・関心を持っている外部のメンバー4名が加わった。中には大阪から参加した人もいて、その熱意だけでも刺激を受ける。
全長5kmのハイキング道を分担し、それぞれの場所で実際に指導していることを想定し、一種の「模擬授業」を行なった。個性があるのはもちろん、日頃から指導を行なっている人が多いだけに、その背後に様々な読図や道具の使い方に対する考え方の違いがあるのが興味深い。
今回は、あえて論争になるような内容は扱わなかったが、コンパスをどう使うのか。初歩の使い方である整置をどう扱うのかといった点一つとっても、回答は出ていない。それをああでもないこうでもないといいながら議論するのも楽しそうだ。
2009年
5月
19日
火
相次ぐ遭難を憂慮して、昨年安全登山検定を行なって遭難対策関係者の間で話題になった埼玉県秩父警察署(コラムno.58 2008全国遭難対策協議会に参加して参照)などが中心になって、山歩きをしながら遭難防止の知識やスキルを学習することができる「学習登山コース」が開設された。場所は、西武秩父線の芦ヶ久保駅起点の「横瀬二子山」である。
登山道の入り口に最初の解説がある。持ち物や登山計画書を出す重要性など、山に入る前の注意が書かれている。そこから10分ほど登った絶妙な位置に、「登山を開始した時間を記録していますか?」と問い、衣服による温度調節や靴紐の点検を促す。その後も、「落石への対処」や「地図を見ることの重要性」「気候や温度に関するミニ知識」など、実用的な知識が提供されていた。緊急時の連絡法として、携帯電話の上手な使い方やそれによって助かった人の事例を出すなど、情報の提供の仕方も工夫されている。山頂では、近くに見える山や街を同定させる問題も出題されている。内容については、かなり考え抜かれたものと思われる。
惜しむらくは地図が一枚も入っていなかったことだ。また山頂以外にも現在地を考えさせる問題があってもよかっただろう。ここは尾根や沢?といった問もあったが、他の情報に埋もれてしまい、やや弱い。登山コースははっきりした地形の中に設定されているのだから、せめて尾根や谷を地図で示し、それを実際の地形で実感させるような問題を出したらさらによかった。また、途中で現在地がどこかを考えさせる問題もほしい。ただ「地図が必要」と言われるよりも、地図に関する関心も高まったのではないだろうか。
今後の様々な展開の可能性はあるが、まずは一般登山者に届きやすいこのような試みがなされたことを評価したい。
2009年
4月
23日
木
教育心理学の名著に「子どもはなぜつまづくのか?」という本があるが、読図を教えていると、大人ですら様々なところで躓く。認知能力も十全であり、学習についての経験も充分にあり、しかもモティベーションのある大人でもその可能性は決して低くない。この7年間のべ300人以上の講習をしてきたが、講習をするたびにそのことを痛感する。
とりわけ躓きが多いのが、コンパス利用(整置)である。コンパス直進はプレートの操作や何段階かのステップがあるので、それなりに難しいことはわかるが、ワンステップでできる整置の習得がこれほど難しいのは、講習会をして始めて気づいた事実だった。
4月から始まった大人の休日倶楽部の第二回目が「コンパスの使い方」で、高橋君の担当会だったが、時間があるので見に行った。講師をしていると、一人一人の受講者になかなか声をかけにくい。傍観者として見ていると、躓きのポイントがどのようなところにあるか、よりはっきりと見えてくる。
躓きは概念的なものと操作的なものに大別される。
概念的な躓きの代表的な例としては、地図の上にコンパスを載せるが、整置しようとして一生懸命コンパスのリングを回してしまうものだ。これは整置を何のためにやるのかという目的がうまく伝わっていないことに大きな原因があるように思う。同時にプレートやリングという整置に必要のない機能がついていることで、ついそれを動かしたくなってしまうという注意の問題もあるように思う。
操作的な躓きとしては、コンパスを現在地の上に載せてしまって整置するので、せっかく整置した後、周囲の地図が読み取れないといった問題や、磁北線と確実に平行できていないといった問題が発生している。後者は、アウトドアで地図とコンパスを持って確実に操作するための手・指の使い方が意外と難しいという問題が大きいと思われるが、どちらも整置の目的は何か、そしてそのために要求される精度はどの程度かといった概念的な問題ともつながっている。
解決には反復学習(スキルとしての定着)、帰納的学習(反復練習をしながら、そこから実践に必要な手順の具体的様相を発見していくこと)、そして概念的学習(いわゆる座学だ)がいずれも必要なのだろう。
2009年
2月
18日
水
ヤマケイの編集部の女の子に地図を教えながら、それを連載記事にする企画が入ってきた。普通の講習でも受講者からのフィードバックはあるが、十分ではない。今回は、彼女が指導の中で学んだことが記事になる。こちらが提供したスキルや技術が、ほとんど地図の読めない初心者にどのように受け入れられていくかを、僕自身が知るいい機会になる。
2/16はその初めての取材で奥武蔵を歩いた。ヤマケイの編集部員というと、山好きをイメージする。確かにその通りなのだが、地図は驚くほど読めない。だからこそ連載の担当に選ばれた訳なのだが、まさに初心者というにふさわしいレベルだった。 記号と等高線の章を予習するように指示しておいた。本文は読んでくれたようだが、記号を憶えてはいない。基本は10個、最終的には30くらいは憶えてほしいというと、「そんなにたくさん!」という顔をする。初心者にとっては、このあたりに最初の関門がありそうだ。講習でも、こちらが基礎的だと思う記号についての質問を意外に受けるからなあ。
「これから歩くルートは尾根・谷?」という質問は、案の定難しかった。「高いところを探して尾根をたどるんですよね」と、原理は分かっているようだが、実際の地形図は複雑で必ずしもピークが分かりやすいとも、近くにあるとも限らない。考えているうちに、混乱してしまった様子。
仕方ない。まずは地図に尾根・谷線を描いてもらおう。別紙に尾根・谷を描いてもらうと、一応描ける。今いるところが尾根か谷かは判断できた。描き込みのない地図で、それを判断するのは難しいようだ。ここももう一つの関門だろう。
彼女にとっても僕にとっても前途多難。それは同時に彼女にとっても僕にとっても成長の機会であることを意味する。
2009年
2月
17日
火
裁判員制度の導入に伴って、一般の人の裁判への関心が高まっている。本屋に行っても、裁判関係の「どじょう本」がたくさん出ていた。学校事故関係の裁判の記録を見ていて思ったことだが、裁判というのは決して法律によって杓子定規に決定される世界ではない。その場の具体的な状況の一つ一つによって状況の解釈が変わり、それによって同じ罪状の事故でも判決は少しづつ揺らぐ。判決の元になる法律はいわばデジタルの世界である。しかしそれが裁こうとしている実世界はアナログである。単純な話ではどこに無罪と有罪の線を引くか、どこに執行猶予の線を引いたり、過失相殺の割合をどの程度に認定するか、デジタル的な基準はあっても、そこには必ず解釈の余地が生まれる。だからこそ、市民が関わって多様な解釈の可能性を開くことに意味があるのだろう。
デジタル的な基準でアナログ的な世界を切り分ける、だからこそ揺らぎが生まれる。それに対処するために柔軟な視点が必要となる。同じことは地図を使う場面にも言える。地図記号はデジタル的でわかりやすい。地図がわかりにくい・難しいと思われるのは、実は地図自体ではなく、地図をアナログ的な現実と対応させる場面にある。法律の世界もきっとそうなのだろう。
僕が所属した大学のオリエンテーリングクラブは100名を越す大所帯だったが、その中でもっとも多かったのは工学系の学生だった。これはなんとなく分かるような気がした。ナヴィゲーションは原理的な行動をとることで確実性が増す。しかし、移動する実世界はその原理がそのまま適用できないことも多い。それに対応する柔軟な視点の切り替えが必要だ。工学が要求するそういう資質を持った学生たちがオリエンテーリングに惹かれたのも、そんな共通性からではなかったか。
その次に多かったのが法律系の学生だった。当時は不思議に思っていたが、地図記号の性質と法律の性質を知った今は、それが必然だったのではないかと思う。デジタルな基準でアナログの世界を切り分けていく。そんなナヴィゲーションの地図読みが、法律系の学生にマッチしたのではないだろうか。
裁判員制度が普及することで、ナヴィゲーションへの関心が高まる。そんな妄想が頭をもたげた。
2009年
1月
05日
月
知人の紹介でJR大人の休日倶楽部趣味の会で読図講習を受け持つことになった。10月にスタートして隔週で5回の講座を行なった後、最終回は1日かけて里山歩きをしながらの実技講習である。10月開講の講座は8月下旬には会員の元に情報が届けられ、受講人数の多い講座は9月中旬に抽選となる。情報が届いた直後から申し込みが続き、8月末に「どうですか?」と問い合わせたら、「大変なことになっている」という返事が来た。締め切り時には70名を越える申し込みがあった。むろん抽選だが、このままではあまりにも当選率が低すぎる。開講の木曜日は幸いなことに特別な用事はないので、急遽午後にも1講座入れることにした。最終回の実技講習を別の日にして2回やるのは負担が大きく、2講座分で一緒にやらざるをえなかった。そこで午後の講座は定員を20名にしてもらった。結局午前午後で42名が受講することになった。最終回にアンケートをとったところ、好評だったのは予想通りだが、さらに進んだ中級の講座を希望した人も1/3程いた。
12/21日には、岐阜での講習会の講師を務めた。一昨年から熱心に読図講習を開催している岐阜県が山岳関係者に呼びかけたところ、山岳会の会員を含めて、遠くは大阪から30名以上が集まった。初心者と同じようにという訳にはいかず、僕のところに声がかかってきたのだった。読図への関心は嬉しくもあるが、反面僕の講習でやっていることは基礎的なことなので、それに対して山岳関係者の評価が高いことには複雑な気持ちである。山岳の基礎の一つとも言える読図に対する体系的指導法はまだまだ未開拓の分野なのだろう。
当NPOの会員でアドベンチャーレースの第一人者でもある田中正人氏が1月中旬にトレイルランナー向けの講習会を企画したところ、60名もの申し込みがあったそうだ。トレイルランナーは自然の中を走るチャンスが多い割には、その読図力は概して低く、遭難が危惧されてきただけに、彼らが地図に対して関心を持ち始めたことは喜ぶべきことと言える。特にロゲイニングに参加したトレイルランナーたちが読図の面白さに目覚めているようだ。
読図やナヴィゲーションスキルはアウトドアの礎である。今年もも様々な機会を提供していきたい。
2008年
10月
17日
金
第8回のコラムで紹介した富士山アウトドアマップは、その後資金難や時間不足で休止していたが、その構想を復活させることができそうだ。9月に募集のあった県の戦略研究「富士山」に「富士山麓のアウトドアリソースの集約と活動プログラムメニュー」を出したところ、それが通ったのだ。ヒアリングでは、トレイルランニングやアドベンチャーレースなど、空間的には施設に枠内にとどまらない、内容的にはキャンプとは対照的なアクティブでアスレティックなアウトドア活動が増えていること、そのためのリソースを集約することで富士山の魅力がさらにクローズアップされることを強調した。評価されたとするならこの部分だったのだろう。
「るるぶ」のような観光中心の情報源はたくさんあるが、作られた観光資源でない自然を使う活動のためのリソースを集約し、面的広がりの中で紹介した地図は日本ではまだほとんど見られない。富士山の周囲は共同研究者になってもらった火山学者にいわせれば、火山の恵みである自然景観の宝庫である。こうしたいわば生のアウトドアリソースは、十分には知られていない。また、富士山には平安時代にさかのぼる信仰的な登山という文化的な資産も数多くある。現在はそれらがほとんど省みられていないのは残念なことだし、それが日の目を浴びることが、富士山の世界遺産登録にも貢献するであろう。
こうした生の自然がもっと活用されるためには、ソフトなインフラストラクチャーとしてのリソースについての主題図の存在が欠かせない。今回の助成獲得は、ある意味、そうした地図の価値が認められたものとも言えるだろう。
2008年
9月
30日
火
昨年「工場萌え」という写真集が話題になった。「萌え」とは、本来オタクたちが美少女キャラクターに対する恋愛に似た感情を表現するのに使った言葉だが、それを美少女キャラクターとは対極とも言える工場に対して使う言語センスが心憎い。しかし、掲載された写真は秀逸であり、それらを見ていると、工場って本当は美しくてキュートなものなのじゃないかと思えてくる。それに対する感情は「萌え」という言葉こそがふさわしいという気にさせられる。解説もまじめさと遊び心が適度に入り交じっている。工場萌えのためのデートコース案内では、工場鑑賞初心者である彼女をデートに誘う時には、それと悟られないように湾岸線を通って横浜へ向かい三渓園を見た後、ユーミンの「海を見ていた午後」で有名な根岸のドルフィンで食事するという一見平凡なコースが用意されている。しかし、このコース、まずは川崎で工場萌えのメッカJFEの製鉄工場を見たあと、横浜の三渓園では借景に本牧の工場群を見る。根岸のドルフィンから磯子の工場地帯がじっくり眺められる。工場を根っから愛すればこそ思いつく発想だ。
工場のような無機質なものにも「萌え」という感情が成立するとしたら、地形に対しても萌えという感情は成立するのじゃないだろうか。実際、僕が小学校5年生で1:25000地形図をベースに地形模型を作った時、等高線の複雑かつ絶妙なカーブの美しさにほれぼれした思い出がある。世界選手権のための100日以上地図調査に入った三河高原には、花崗岩によって作られる「萌え」地形が随所にあった。斜面にせり出す巨大岩石、急峻な沢を詰めると広がる緩やかな沢底。そこに潜んでいる北欧を思わせる小さな湿地。そこからひょいと登れてしまいそうな稜線。辛い調査を動機づけていたのは、そんな感情だったことに気づいた。
先日の読図講習会の時、アドベンチャーレースの常連Kさんに「地形に萌えるってことありません?」と聞いたら、「最近地図が読めるようになってそう思うこともあります。」と答えた。その後見た広い沢の中にはっきり張り出した低い尾根を見た時、「この尾根萌えるな」と言ったら、かなり年期の入った別の受講生の人が「印象深かった」といってくれた。
講習会だから、役に立つことを教える。だが、僕の潜在的な狙いは「地形萌え」を育てることにあるのかもしれない。