2008年
9月
10日
水
文部科学省の登山研修所の協力を得て、登山者の読図力に関する調査を実施している。調査はこれまでも利用してきた質問紙による読図力の自己評価と、実際の地図を使った等高線読解等の客観的調査からなる。調査の狙いは二つあった。
一つは、登山者の読図力を客観的に把握することである。「道迷い遭難が多い」←「登山者の読図力に問題がある」という素朴な仮説でこれまで講習を行なってきた。しかし、登山者の読図力がどの程度のレベルなのかは、実は正確には分かっていない。講習会の参加者たちの読図のレベルは、講習をやっていれば概ね分かる。しかし、ある程度登山経験がある中堅の登山者たちが、どの程度読図力を持っているのかは分からなかった。これを把握したかった。
第二に、質問紙による把握の客観性の検証である。これまでも講習会では簡便な方法として、質問紙で自分の読図力を把握してもらってきた。しかし、回答者が正確に自分の読図力を把握しているとは限らない。質問紙には必ず「妥当性(質問項目が現実のスキルと確実に対応しているかどうか)の検証」という手続きが必要だ。これは1日の講習会という限られた時間ではなかなか実施できないので、登山研修所の宿泊研修は、このような調査をするのには貴重な機会となった。
詳細な結果についてはいずれ発表の機会を持ちたいが、最も興味深かったのは、自己評価と客観的なテストの間に相関(関連)が見られなかった点である。両者の関係をグラフ化してみると、その原因が浮かび上がってくる。客観的なテストの点が上がるに従って、自己評価の低い人は少なくなる。その意味では、両者の間に関連がある。しかし、客観的なテスト成績の低い人の相当数で自己評価が高い人がいるのだ。つまり、客観的なスキルが上がれば、自己評価もある程度正確にできるが、客観的なスキルが低い人の中には自己評価が正確でない人がいるのだ。
客観的テストの点が低いことも問題だが、自己評価がそれに対応していないことはもっと問題である。なぜなら客観的なスキルと自己評価が一致していれば、たとえ今はスキルが低くてもそれを自覚して行動したり、高めようというモティベーションが働く可能性が高い。一方、客観的なスキルと自己評価が対応していなければ、そういうことは起こらない。
テストはいくつかの側面からなるので、自己評価と客観的なスキルがうまく対応していない人たちの特徴を詳しく分析することもできそうだ。研究的にも実践的にも非常に興味あるテーマである。
2008年
7月
23日
水
中高年の登山者人口が増えた。だから、これまでのような悪天候・冬山・岩場での遭難に代わって道迷いが増えたのだ。登山界では一般にそう信じられているし、僕もそうだと思っていた。今回の遭難対策協議会のために、元データを県警本部から取り寄せて分析してみた。このデータは、10県分のデータだが、件数・人数ともに全国の遭難数の3割を占めている。若干地域的な偏りがあるが、統計的に推論するデータとしては十分な割合だろう。
驚いたことに、登山目的に限ると、確かに道迷いは50-60歳代が多い。しかし、20-30歳代にもその半分に匹敵する山が見られるのだ。これは全く意外だった。登山目的以外ではこのような山は見られない。おそらく全遭難数の20%を占める山菜取り(登山関係はほぼその3倍)では圧倒的に中高年が多く、しかも、遭難態様も道迷いが多くを占めるのだ。だから、そのデータに埋もれて、登山での若い層の道迷い遭難の危険が看過されてきたのだろう。警察庁のデータはほとんどが単純集計で、クロス集計は月別などあまり重要でない項目間のものが多い。有効なクロス集計をしてみないと、こんなこともがわからないのだ。
他にも興味深い事実がいくつも見つかった。前にも触れたように、統計では他の態様に分類されるものでも道迷いを発端とするものは道迷い数の10%を越える。道迷いは一般的に「安全な」遭難態様であり、9割の人がほとんど無傷に近い状態で発見される。しかし、道迷いに分類されない「潜在的道迷い」では、概ね1/3が死に、1/3が重傷である。道迷いの結果どうなるかは、登山者の行動に依存する。結果として道迷いに分類されるかその他に分類されるかは初期の道迷いとは無関係である。焦って行動すれば、その死傷リスクは大幅に高まる訳だ。道迷いをなくすことも重要だが、道迷い後のダメージをコントロールする方法を啓発することも重要だと言えるだろう。
なお、遭難者数はほぼ横這い(-45名)だったが、道迷いは90名ほど減少している。他にも50人クラスで増減している項目はあるので、単年度の現象なのかもしれないが、喜ばしいことではある。
なおこの集計結果はいずれ発表予定である。
2008年
7月
07日
月
前回のコラムで紹介した全国遭難対策協議会では、毎年警察庁から前年の山岳遭難の統計発表がある。平成19年の山岳遭難は、1809名で、人数こそ45人減少であるが、件数は1484件と前年比+67件であった。また死者・行方不明者は259名で19人減少。道迷い遭難は628名で34.7%。一昨年と比較すると4ポイント程度減少しているが、遭難原因としては、依然もっとも多い。そういう事情が、2年という短期間にもかかわらず、僕のところに再び講演依頼が来た理由でもあろう。
全遭難者に対する死者・行方不明者の割合は14.3%であるが、単独遭難者中では、24.6%である。単独行での遭難リスクは複数での山行の1.7倍になる。 近年、救助要請は携帯電話によることが多いが、昨年も47.7%と約半数が携帯電話による救助要請を行なっている(50%近くは救助要請なしなので、連絡があったケースのほとんどは携帯によることになる)。携帯電話の利用については是非の議論はあるが、早急な遭難救助に役立っていることは間違いない。ただし、低温だと電力低下で使えない、圏外では基地局の探索により電池の消耗が早いので電源を切っておくなどの示唆もなされていた。直接聞いても、「山での道迷いは緊急事態なので遠慮せず掛けてほしい」という。
同じような場所で、同じように携帯を使っても生死を分けるケースがある。S県の遭難のケースでは、遭難者は家族に「道に迷った」と電話したものの、実際に家族が警察に捜索依頼を出したのは翌日だった。この遭難者は結局その日の夕方近く、ようやくヘリによって発見されたが、その時には滑落によって死亡した後であった。一方別のケースでは、近くの町役場に電話したので、素早く救助活動に移ることができ、命拾いをしている。
ただ、もっともシェアの多いドコモの場合、ムーバからフォーマへの移行により基地局からの圏内距離の減少が問題になっている。都市部では基地局を増やすことでフォーマの方がつながりやすいそうだが、山岳での通話可能圏内が減少している怖れがあるらしい。現在、各地で携帯の接続状況を確認中だという。こんな情報もより詳細かつ正確に登山者に流してほしいものだ。
警察庁の発表の中で紹介された各警察本部の防止策が興味深い。富山では冬山への安全カードを配布。岐阜では防災ヘリ等を利用して空中写真とともに雪崩遭難防止のための危険マップのHP掲載や登山口での広報を行なっている。私自身もMnop会員の山下さんから紹介された埼玉県の「秩父安全山歩き検定」の紹介をしたが、警察庁の方もこれを紹介していた。こんなゲーム感覚でもいいから、山の安全への意識が高まることは望ましい。
2008年
6月
27日
金
6月25日、静岡気象台で行われた牛山素行さんの講演を聴いてきた。彼は豪雨災害被害を専門とする研究者である。ちょったした地震が起きると大ニュースになる。しかし、その多くは死者は数人というものである。ところが日本では、毎年数十人という人が豪雨災害でなくなっている。そんな社会的アンバランスも、彼を研究に駆り立てる大きな要因らしい。
今回の講演で一番興味深く、また示唆に富んでいたのが、豪雨災害による死者の分析である。2005-2007の3年間の豪雨災害の死者は95名。そのうち溺死が35ほどをしめるが、実は洪水によって流されて死んだのはその1/3程度であり、残り23人は、「田圃を見回りにいって」「増水の様子を見て外に出て」といった、いわばアクティブな被害にあった人だという。また土砂災害では、高齢者等の要援助者が死亡するケースが数件あるが、全体からみたらその数は決して多くないといった、事実の詳細な検討に基づく興味深い話が続いた。
私も今、来週の全国山岳遭難対策協議会での講演に向けて、道迷いの事例を分析しているが、残念なことに警察庁が発表する資料は単純集計の数値だけであって、その経緯はほとんどわからない。登山者遭難の実数も、道迷いの総数もわかるが、登山者の中で道迷いで遭難した人が何名であるとか、そのうちどのくらいのけがをしたのかといった基礎的資料が全く得られない。さらに困ったことに、最終的には原因(実際には態様と呼ぶ)が「滑落」であっても、相当数の事故の発端が道迷いにあるらしいというのが登山関係者の実感であったが、その裏付けとなる資料も得られなかった。データがなければ、的を射た対策を立てることができない。これは豪雨災害も山岳遭難も全く同じである。
えーい、仕方ない。各警察本部に直接電話して、資料提供をお願いすることにした。情報公開条例等で拒否されたところもあるが、多くは協力的であった。しかし、それらの半数程度は単純集計であり、やはり上記の分析には向かない資料だった。結局、全国遭難の約1.5割程度の事例が集まりそれで分析をすることにした。サンプリングに偏りはあるが、「道迷い」と分類されていない遭難中にも道迷い数の10%強の道迷いからみの遭難があることなどがわかった。
この資料については講演終了後、何らかの形で公表する予定である。
2008年
6月
25日
水
この4月に私が住む団地に奇しくも引っ越してきた昨年の山岳耐久レースのチャンピオン相馬さんに触発されて、最近は山を走りに行く機会が増えた。先週も静岡市の象徴的山である竜爪山まで、草薙そばの丘陵の先端から尾根づたいにトレイルを走った。10年近く前に学生を連れてトレッキングをしたことがあるし、基本的には北にまっすぐ延びる尾根をたどればよいが、エスケープルートの事も考えて地図を持つことにした。コンパスはさすがにいらないと思ったが、リストコンパスを念のため持って行くことにした。このコンパスなら手に持つ煩わしさもないし、必要な時にすぐに方向を確認できる。実際に使うことは全く考えていない、リスクマネージメントのつもりであった。
前半は、半分記憶を頼りに尾根道をがんがん上がっていった。中間の目標地点穂積神社の近くでは北に延びる尾根道を進み、最後に左(西)に折れて尾根を下ればよい。地図では西に分岐する尾根ははっきり分かるので、それを意識しながら気持ちのよい尾根道を走っていった。ポピュラーな登山コースとは言い難いこのコースでは、針葉樹林の中ではヤブに覆われているということはないものの、逆に踏み跡が残りにくくて、地形との関係と方向を気にしないと道を外しやすい。そこで、明確に踏み跡のある尾根上を進んでいった。ふとリストコンパスをつけた左手を身体の前に止めて見ると、磁針の赤い方が身体の正面方向より左に振れているではないか。つまり進路が北東よりになっているということだ。確か尾根道の方向は、ずっと北より少し西よりであって、穂積神社への分岐の後、ようやく尾根道が北東に向くはずだ。地図を見直してみてもやはりそうだ。つまり穂積神社への分岐を見逃したのである。
少し戻ってみると、さきほど踏み跡が消えかけて前方に続きを発見したと思った部分で、左に直角に折れなければならなかったのだ。この部分には倒木で×印が作られていたが、疲労で頭が少しぼーっとしていたのと、その先の踏み跡が先に見えて、全くそれには気づかなかった。もしコンパスがなければ、その1kmくらい進んで下りから登りに転じた時点でようやく気づいただろう。
本などには紹介しているものの、それをオリエンテーリング以外で体験できたのは久しぶりであった。コンパスの危機管理機能を改めて実感することになった。
2008年
4月
21日
月
剱岳測量100周年の地図に感動していたら、今年の3月に発行された測量協会の雑誌「測量」の表紙の赤色立体図による立山・剱はもっとすごかった。赤色立体図はアジア航測が開発した地形表現手法で、もともと富士山北麓の青木ヶ原樹海のレーザープロファイリングという測量手法の成果を最大限に表現しようとする検討の中から生まれたものだ。レーザープロファイリングは森に隠れた地形も、あたかも裸地であるかのように高低を把握することができ、赤色立体図は、その細部を立体感を持って表現することに優れている。その地図を初めてみた時には、あたかも溶岩の流れる様を眼前に見ているようなリアルさに驚いた。この測量によって新たに発見された側火口もあったらしい。
その赤色立体図の手法に等高線と段彩をオーバーレイして剱岳周辺を地図にしたものが、「測量」58巻3号の表紙を飾っていたのだ。赤色立体図独特のおどろおどろしさはあるが、とにかくその立体感は圧倒的である。僕らは等高線図だけでも、十分に立体感を見て取ることができる。だが、等高線を立体的に見ることのできない一般の人にとっても、赤色立体図は等高線とは比べものにならない立体感を提供しているように思える。ひょっとすると、こういう地図と一般の等高線図を見ている時では彼らの脳内活動も違うのかもしれない。あるいは、僕らエキスパートは一般の等高線図を見ても、赤色立体図と同じような脳内活動を示しているのかもしれない。今後研究費を取って、ぜひ検討してみたいテーマである。
2008年
4月
08日
火
半年ほど前のコラムで、北海道の地形図は概ね登山道が正確になっているという話を紹介した。実は僕自身、昨年の8月に立山・剱に登った時、この地域の地形図の道の情報が更新されつつあることに気づいていた。この時GPSの計測実験をしていたのだが、研究室に帰ってから測位したログをウォッ地図の上に載せてみて、あまりにもログが地図の道にぴったり落ちることに驚いた。しかも、この時同時に購入していた地形図の道は古いままで、ウォッ地図の登山道情報だけが更新されていた。
この山域だけ登山道がGPSによって更新されていることを、その時は不思議に思っていたが、それが、日本国際地図学会の学会誌最新号の添付地図を見て納得できた。剱・立山には前から集成図が作られていたが、それが更新されたのだ。縮尺は3万分の1だが、等高線は1:25000地形図のものが使われ、しかも連続段彩(高さによって色を変える表現技法)と陰影によって、地形が立体感を持って表現されている。登山道はディファレンシャルGPSで取得しており、正確かつ繊細。技術はあるが、美しくないと批判されている地理院の地形図だが、やればできるじゃん!。
この地形図誕生の裏話がまた泣かせる。剱岳測量のエピソードは山岳小説で有名な新田次郎の「剱岳<点の記>」に詳しい。明治の中頃まで、日本全国の地形図作成は概ね終了していたが、剱岳一体は、地形図の空白地帯になっていた。その中央に位置する剱岳は周囲からも目立っており、測量用の三角点を設置するには格好の場所に思われたが、当時、「登れない山、登ってはならない山」とされていた。しかも、設立されたばかりの日本山岳会がその登頂を試みているという情報も陸軍にはもたらされていた。陸軍陸地測量部の威信を懸けて、測量官柴崎芳太郎が、地元のガイドの協力を得て登頂に成功する。しかし、頂上周辺の急峻さから、3等三角点を設置するための石材を運びあげることを断念し、地図には記載されない4等三角点を設置した。三角点の戸籍とも言うべき「点の記」が作成されるのは3等三角点までである。
点の記が作成されなかったため、柴崎の剱岳登頂は、公式には記録に残らないものとなった。しかし、登れないとされた山の登頂に成功した。このエピソードは、おそらく陸地測量部、そしてその後の地理院の測量官の誇りとして語り継がれたのだろう。剱岳測量100周年を記念して、立山・剱の集成図が更新され、また剱岳の山頂には、もはや用のないはずの3等三角点まで設置されることになった。そして、晴れてこの三角点に「点の記」が作成され、選点者として柴崎芳太郎の名が記されることとなった。
更新された剱岳はウォッ地図でも見ることができる。
2008年
4月
04日
金
ヤマケイで連載している山の小物実験室で「コンパス」を扱うことになり、コメンテーターの役が回ってきた。日頃から、コンパスの取り説には一家言ある身としては、引き受けない訳にはいかない。
ベースプレートコンパスの大まかな作りは、どのメーカーも変わらない。しかしプレートのデザインや文字、スケールの入れ方などは各社様々だった。単純な部分だが、ベースプレートコンパスの命である直進に欠かせない進行線が読みにくかったり、進行線と合わせるべきリングの角度目盛りがリングの内側にしかついていなくて、数値を合わせにくかったりと、意外なところでも、使いやすい・使いにくいが違うものだ。
一番興味があったのは、プレートやリングのデザインが直進性にどう影響するかだ。さらにはプレートのないコンパスと直進性能がどの程度違うかだった。日本では直進をする機会は少ないとは言え、直進はベースプレートコンパスとしてもっとも重要な機能である。プレートの進行線や目盛りのデザインが直進性能に影響するとすれば、それらは単なる意匠以上に重要な意味を持つことになる。また、直進するためにコンパス上に記憶させた角度を環境上に展開させる時、最終的には視線の向け方がその精度を決定する。ベースプレートはそれを補助する道具にすぎないので、もしかしたらプレートのないコンパスでも、ある程度の直進が可能かもしれない。この実験には、僕とMnopスタッフの宮内、そしてヤマケイのライターのNさんが参加した。僕と宮内は熟練者、Nさんは経験者と言ってよいレベルだ。
結果は、3つに集約できる。まず、プレートの進行線やリングの目盛りのデザインは、操作性の主観的判断に大きく影響を与える点だった。進行線が短いもの、目盛りが進行線と合わせにくいものは、正しい方向を視認するのに非常に大きなストレスをかけ、それに伴い評価も低かった。第二点目は、驚くことに操作性の主観的な判断の違いにも関わらず、実際の直進の精度(20mほどの距離にすぎないが)は、ほとんど変わらなかった点である。宮内の全8機種を通した平均精度はなんと0.56度。すべての機種の誤差は0度か1度であった。村越がもっとも低くて、それでも1.7度である。宮内はなんと1%以下、村越でも3%程度の誤差であった。ただし、これは被験者がみんなある程度の経験者以上の者であったからかもしれない。初心者であれば、操作性の悪さはストレスとして感じられるのではなく、実際の精度に直結する可能性はある。この点は、是非再度実験してみたい課題だ。
第三に、プレートなしのコンパスの直進性能の高さであった。3人が1回づつ使った平均なので、統計的な吟味に耐えるほどではないが、プレートなしのコンパスでも2度(約3%強)の誤差であったにすぎない。もちろん、このコンパスは、プレートがないとは言え、リングの中でノースマークを回すことができる。従って、ノースマークを逆に進行線代わりに使うことで、プレートコンパスに似た使い方ができる。精度が比較的高かったのはそのせいかもしれない。それにしても、プレートがなくてもこの程度の直進性能が出せることが確認できたことは収穫だった。常々、初心者のコンパス利用講習にはプレートが操作を混乱させることがあると感じ、ひょっとしたらプレートなしコンパスの方が、よいのではないかと感じてきたが、直進を含めてもその予想は間違っていなかったことを確認することができた。
なお、実験と5項目からなる評価の様子は来月発行の「山と渓谷」5月号に掲載される。
2008年
2月
18日
月
昨日2月17日は、大学の公開セミナー「安心登山のための読図講習」に参加した山の会のメンバーから依頼され、その会のためのプライベートな読図講習会を行った。屋内で90分ほど基礎を確認した後は、いつもの講習よりはハイキングに近い形で、約7kmの里山を歩きながら地形読み取りで注目すべき点や、現在地把握の考え方などの講習を行った。参加者が当初の予定より2名減の12人というのもよかったようだ。1:6のガイドレシオで、かなり丁寧な講習ができた。山の会の方だけあって、普段もある程度の意識はしているせいかもしれない。「2回目で、前よりも随分読めるようになりました」という感想も聞かれた。テニスの講習会に出て1日で乱打ができるようになることを期待する人はいないだろう。ある程度繰り返しが重要であることと、それに対応できる講習システムの充実の必要性を感じた。
この日は、新潟でも同趣旨の講習会が行われていた。比較的登山者の多い三条にいるオリエンテーリング愛好者のFさんが、私が日頃唱えている「日本人の地図読みを変える」という趣旨に賛同し、またオリエンテーリング界が持っている知的資産であるナヴィゲーション技術を広めたいという希望もあって、開催にいたった。地元新聞に掲載されたところ、20名の定員はあっという間に埋まり、14名にお断りをし、次回の開催を決めたという。講習は結局21名の参加があったが、そのうち17名が次回の情報連絡を希望し、参加料(2000円)、講習時間(6時間)とも適切であり、また概ね満足あるいは、予想以上という評価も得たようだ。
自分でナヴィゲーションできるスキルに、ちょっとした指導のノウハウや伝達すべき知識・スキルの整理を行えば、読図講習会を開催することは可能である。こうした動きが広がることで、山岳遭難から道迷いのパーセンテージが大きく減少することを期待したい。
2008年
1月
30日
水
入試委員長として迎えたセンター入試。大きなトラブルもなく、本部でたっぷりあった時間で、例年のように問題に目を通した。地理では惰性のように地形図を使った問題が出題されているが、深い知識を問うものではなかった。ここ2、3年の読図問題は行間を読む面白さがない。ナヴィゲーションという視点からは、地理Aの写真と地図を照合する問題が、少し興味をひいた。過去にも何度か「この写真は地図のどこでしょう」という、まさに現在地把握問題が出ていたが、久しぶりの登場である。難しくはないが、唯一のミソは、写真を見て、それが原爆ドームだと分かるという知識を要求されていることくらいだろう。もちろん、ナヴィゲーションという視点からみれば、その基礎的スキルを高等学校の学習で要求していることは興味深いし、高校地理の学習指導要領にも、景観写真と地図との対応は唱われている。それが何のため、というのが受験生に伝わっているのかどうか・・・。
今年も読図の面白さを堪能させてくれたのは、理科だった(コラムno.38も参照)。地学の地質図問題は、等高線を読み、平面的な地図から立体をイメージし、地図には直接表されていない地層の要素を推測させ、さらに断層による動きの結果を予想しなければならないという、かなり凝った問題であった。もちろん、地学の知識もある程度は必要とされるが、むしろ空間的な変換能力が要求される問題である。それが苦手な人にはかなり厳しい問題ではなかっただろうか。ふと、国家レベルの地質図を独力で作り上げ、そこから、イギリスの地下の地質構造を推測し、「地質学を聖書物語から科学に変えた」ウィリアム・スミスのことを思い出した。
2008年
1月
21日
月
9月に発行した読図ワークブックが脳トレブームに乗って爆発的に売れて、川島隆太ばりに研究棟が建つ予定は潰えたが、9月から行ったアウトドアショップとタイアップした屋内講習・屋外講習、さらには大学の公開セミナーで行った読図講習、いずれも盛況だった。9月の講習会が、NHKの東海ローカルの番組で取り上げられたことも大きかったようだ。また、大学のワンゲル部への読図指導、知人に対しての取材を兼ねての読図山行などもおこなった。
これらの講習会や指導では、読図への潜在的な興味関心、またそのスキルの習得意欲が決して低くないことを実感することができた。擬似的になりがちな屋内講習でも、受講者はかなり意欲的に取り組んでくれたし、面白さを感じてくれたようだ。その場で、随分読図ワークブックが売れたりもした。そういうとっかかりを提供していくことが今後も重要なのだろうと実感させられた。
講習会では、同時に読図スキルの実態についても深く考えさせられる結果となった。登山経験がある程度あっても、山で使う基本的な地図記号についての理解がおぼつかない受講者も少なくない。尾根・谷線を把握することも山での地形図読みの基本だが、これが実は意外に難しいのだということにも気づくことができた(これについてはコラム40参照)。
関連して、ハザードマップの研究で、1:25000と対応させて住所の現在地を特定し、避難経路を考えさせる課題の分析を行っているが、その中であまりに現在地の特定成績が悪いのにはびっくりした。ハザードマップには特定すべき地名「**幼稚園」が明確に載っている。第一にその地名のすぐ北にある赤い記号(凡例を見ると、これは老人施設であることが分かるはず)と間違えたり、全く違う場所を特定したりする誤りが多く、なんと正答率は38%に過ぎなかった。洪水のハザードマップでも同じような傾向が指摘されていたが、これではどんなにいい地図ができても、適切な避難ができないだろう。
まさに「生きる力」である読図・ナヴィゲーションスキルの実態を改めて実感し、「日本人の地図読みを変える」ことの必要性を痛感した。
2007年
11月
22日
木
大日岳遭難事故後の文科省の安全検討会の委員になったので、この事故についての勉強をはじめた。事故は冬山の雪崩遭難であり、ナヴィゲーションとは無関係だと思っていたが、調べてみるとそうでもないらしい。
この事故が起こったのは2000年の3月5日。北アルプス大日岳で、雪庇が崩落して文部省(当時)の登山研修所の冬山登山研修会に参加していた学生・講師が崩落に巻き込まれ、このうち二人が死亡した。この事故はその後訴訟になったが、事故検討の過程で、崩落した雪庇がそれまでの常識にはない巨大なものであったことや、雪庇の先端部分ではなく、下部構造の吹きだまりごと座屈するように崩落したことが分かった。
それまでにも雪庇からの崩落は冬山の尾根線歩きの時には注意すべき事項の一つであったが、それはオーバーハングした先端を踏み抜くことによるものだと考えられていた。従って、先端から10mほど離れていれば、十分安全であると考えられていた。実際このパーティはそれを守っていたが、崩落したのは先端から17mも山頂によった場所であり、そこでも山稜まで20m以上の距離があった。つまりこれまで常識的に考えられていた「10m程度先端を回避すればよい」程度では十分ではなく、山稜の位置を正確に把握した上で、その周辺を歩く必要があることが分かったのだ。
この訴訟では、そのように歩くナヴィゲーション方法について、原告側証人からの主張がいくつかなされている。裁判所の判断はなされていないものの、いずれの方法でも、多分10m以内の精度を出すことはできないだろう。たとえばコンパスのバックベアリングが提案されているが、通常のベースプレートコンパスでは誤差3度以内程度の精度を出すのが精一杯なので、10mの精度は出せそうにない。それどころか、登山には十分だと思っていたGPSの精度ですらこの雪庇対策には十分ではない。いったい、自分自身なら何ができるだろう?そう考えると、「ナヴィゲーション・マスター」など遙かかなたのことだ。この事故の勉強で読んだ「雪崩リスクマネジメント」の著者トレンパー(もちろん、雪崩の専門家である)も、その著書を「いつか僕自身、アバランチ・マスターになれればと思う」という言葉で謙虚に締めくくっている。
2007年
11月
21日
水
新垣さんという研究仲間によれば、日本は方向オンチに対する関心の非常に高い国だという。「方向オンチ」だということは目的地にうまく到達できないこと。これは仕事の中では重大な能力の欠如ですらある。なのに「私方向オンチなんです」といったことが、開けっぴろげに語られるのは日本的な現象なのだ。
マスコミでも、方向オンチは比較的取り上げられやすいテーマである。テレビでも3年にいっぺんくらい「ブーム」があり、2、3ヶ月の間に数局で方向オンチ番組が連続するということもよくある。ある局の取材で方向オンチの人の町歩きにつきあっている途中抜け出して、別の局の収録を受けたということもある。ある出版社からは、「方向オンチの直し方」という本の執筆依頼を受けた。ちょっと体調的にも気分的にもノッていない時期だったこともあって、この企画は結局断った。だいたい身体の感覚の問題ではないので「直す」ようなものではないのだ。むしろ禁煙やダイエットなど習慣形成に近い問題である。
先週は「女性セブン」からの取材を受けた。行楽シーズンに「こうすれば迷いにくくなります!」というスタンスの記事だという。僕と先述した新垣さんがインタビューを受けた。わざわざ買うというよりも美容室あたりで暇つぶしに読む印象のある雑誌だけに、こんな記事で読者が興味を持ってくれるのだろうかというくらいのまともな草稿の仕上がりだった。
11月15日(木)発売である。
2007年
10月
30日
火
毎年10月に、小平にある国土交通大学校の研修に講師として招かれている。対象は国土地理院の係長クラスの研修で、業務に直接役立つ知識というよりは地図に関する知識を広げるという趣旨の講義なので、こちらもユーザーの立場から感じる地図やそれを使う人の問題点を自由に話している。
登山者が使う地図としては、予想される以上に地形図の利用率は高い(40%弱、ちなみに登山用地図は65%を越える。両方持っている人がいるので合計は100%を越えている)とか、「地形図に出ている登山道は失礼ながらでたらめに近い」と言った話もざっくばらんにした。また、それに対して官製の地図に登山ルートが明示されているノルウェーやスイスの地図づくりが参考になるのではないかという指摘もした。
地形図の登山道がしばしば間違っていることは地図を使う登山者には周知の事実であるが、これは地理院も気にしているらしい。「山と渓谷」誌2007年1月号の平塚氏の取材でも、地図が多少古くなっていても重大な結果には至らないが、山の登山道だけは別であるという認識は地理院も持っている、という報告があった。その一方で、登山道を正確に記すには空中写真の図化だけでは不十分で現地調査が不可欠である。そこに十分なマンパワーを割けないという現実もある。
そんな話をしたら、講義の後に北海道担当の受講者がやってきた。北海道では、登山道の実地調査に基づく記載を進めて、地形図の登山道は概ね満足できるレベルに達するという。ただ難路に関しては、その利用を誘発することに対して責任が持てないので、記載しない方針だということも聞いた。
こうした取り組みが、登山者の多い中部地区でも早く行なわれることを期待したい。
2007年
10月
12日
金
講習会は、参加者が学ぶ場であるとともに、講師が学ぶ場でもある。
前回のコラムで紹介した机上講習会では、初級講習ということで、地図記号と等高線の基礎の読み取りである尾根・谷・ピーク・鞍部の読み取りを行なった。 地図記号は「まあ、復習」のつもりで、道(幅員1.5m未満)、道(幅員1.5-3m)、送電線、せきなどを写真で提示し、対応する記号を応えてもらった。基本の記号を出したのに、意外に自信を持って回答できない受講生が多くてびっくりした。その週に別の場所でやった講習会でも、普段から地形図を使っている人であったにもかかわらず、完全には記号が把握できていないようだった。これでは英単語も分からず英語を読もうとするようなものだ。記号の名前ではなく、記号と写真の対応だから難しかったのかもしれないが、それこそがナヴィゲーションの読図で要求されている知識なのだ。
等高線課題の難しさも予想通りだった。概念図では分かっても、実際の地形図の複雑な尾根・谷の連続になると、「尾根線を引いてください」といっても、途中で原理を忘れて尾根から谷を横切ってしまう線を引く人は少なくない。尾根線・谷線の把握はテニスで言えば素振りのようなものだが、同じように、一振り一振りコーチがフィードバックする反復練習が、ある程度は必要なのだろう。
それでも、写真と地形図の尾根線を対応させる課題は楽しんで取り組めたようだ。考えてみれば、これも当然のことかもしれない。写真(実際の風景)との対応という基準があって、初めてどこまで正確に尾根線をトレースすべきかが決まってくる。写真上で把握でき、またそれが識別に重要な役割を果たす線形の特徴があれば、それは地形図からも読み取らねばならないし、単純な線形を読み取れば十分ならそれでもよい。基準があるからこそ、自分がやっていることが適切なことかどうかもその場でわかる。そういうフィードバック感覚が楽しさを生み出すのだろう。
等高線読み取りにおける相対的な精度へのセンスも、ナヴィゲーションの中では重要なポイントだが、そんなことも初級者と等高線読解課題をやっていると見えてくる。ちなみに、この読図講習会の参加費が200円だと聞いたら、NHKのディレクターが驚いていたが、これだけ学ぶことがあって200円ももらえたら、むしろ申し訳ないとも思えるほどだ。
2007年
9月
27日
木
2年ほど前から、静岡の好日山荘呉服町店と一緒に読図講習会を開催している。屋外での講習を2回、平日の夜の屋内講習をすでに2回行ってきた。昨日1回行い、10月から11月にかけてさらに2回行う予定である。最近では、ショップもただ物を売るだけでなく、ソフト面を充実させて顧客を定着させることに努力しているせいもあって、集客力も高い。今回の3回連続屋内講習+屋外実技のシリーズも、早々と定員に達する勢いであり、リピーターもいる。
かつては読図も含めた登山技術は、山岳会や山の会などで、いわば伝承的に学ばれた。しかし現在多くの「未組織」と呼ばれる一般登山者が増え、遭難に占める割合も増えている。こうした人たちが登山技術を身につける場はまだまだ少ないのが現実だ。確かに講習会はない訳ではない。登山雑誌を見ると、イベント欄には多くの講習が載っている。しかしその多くは値段も高く、また見ず知らずの団体の講習にいきなりでかけていくのは一般登山者にとっては、やはり敷居が高いのだろう。その点ショップは普段の店員とのコミュニケーションもあるし、日常の生活圏内にあるので、出向きやすい。そういう点で、潜在的な需要が掘り起こされやすいのだろう。登山界におけるショップの新たな役割としても注目されてよいだろう。
9/26の第一回屋内講習では、初級対象に、記号の基本的な話や等高線から尾根・谷を識別したり、またそれを風景の写真と対応させる課題を行った。全くの初心者はほとんどいなかったが、地形図の複雑な等高線から尾根・谷を正確に識別する難しさやそれが風景と対応できた時の面白さなどを感じてくれたようだ。また、紹介したオリエンテーリングにも関心を持ってくれた。
なおこの様子は、東海ローカルだが、NHK総合の「ナビゲーション」という番組で10月5日(19:30-19:55)で紹介される予定。
2007年
9月
20日
木
平板測量で地図が作られていた時代には、測量官は山の裏側を見ずに描けるくらいでないとだめだと言われていたそうだ。そういう逸話があることは知っていたが、本書を読むと、空中写真によって測量が行なわれる以前には、そういう測量が行なわれていたのは事実のようだ。
全般的には地図の蘊蓄本だが、2章の「地図作りの、なぜ」が地図のユーザーとしては興味深い。平板測量をしていた時代には、測量官が「勘」を働かせて描いていた。「勘」を働かせるということは、認知心理学的に言えば、たとえば河岸段丘ならこうなるはず、というスキーマ(この場合は、個々の特徴的な地形の特徴に関する一般的知識)を使っている訳である。だから、当時の地図を見ると、むしろ今の地図よりも、それらしく地形の特徴が表されていることもある。今は空中写真から主観を交えずに描く。山の中に入ってオリエンテーリング用地図を作成していると、等高線が「見た目」をあまり反映していないことが往々にしてあるが、その理由は、現代の地図の等高線が、「客観的に」描かれているからである。
その他にも森林地の等高線は一本一本ではなく全体の地形をイメージしながら等高線を引くとか、山の中の道は信用できないなど、作る側の論理が余すところ無く紹介されている。これは地図を使いこなそうというユーザーにとっては非常に有益な情報である。
2007年
6月
29日
金
火山学者の同僚と、ハザードマップ(火山防災マップ)を使った読み取り実験をこの数年続けている。彼はハザードマップを作った立場から、「これが本当に市民に使えるものになっているのだろうか」という疑問も持っていたし、僕もその相談をされた時、ただの地図ですらうまく読めない大人が多いのだから、ハザードマップのように複雑な地図が、教育なしに読めるとは思えないと思った。では具体的にどんな点が読み取れないのか、またどうすればいいのかという研究上の疑問を持って、共同研究に取り組み始めた。
先週行なったのは、高校生を対象にした実験だった。課題では、ハザードマップを見せて、「富士山噴火の緊急火山情報ができた時どうしたらいいか」を考え、なおかつ避難するとしたらどんな経路で避難するかを1:25000に描き込む課題であった。与えられたハザードマップは概ね縮尺1:70000くらいだから、異なる縮尺の地図の対応が要求される。異なる地図を対応させる課題は、小学校の社会科でも非常に通過率の低い課題である。実験条件としては、ハザードマップの読み取りについて、ある程度解説をした群といきなりハザードマップを与える群で、上記課題の出来を比較した。
ハザードマップからの対策立案の課題はこれまでにも何度か実施していたが、1:25000に避難経路を書かせる課題は今回が初めてだった。難しいとは予想していたが、思った以上に難問だったことが実際にも示された。まず、住所と想定されている場所を探すのが難しかった。地図を使いなれた僕らからみれば、スケールは違っても特徴的な道の形を対応させれば、ほぼ場所は分かるはずだ。通い慣れている彼らの学校の位置さえ読み取れない生徒もいたそうだ。
行政はアリバイ的にハザードマップを全戸に配布している。だが、まずその特徴的な表現を一般市民はうまく読み取り、生かすことができない(これはこれまでの実験でも検証済み)。また、実際に逃げるとなった時、ハザードマップの情報だけでは避難ルートは計画できないので、より大縮尺の地図を援用する必要があるが、それもおぼつかない。マップの配布という点では進みつつある防災対策であるが、地図利用という視点から見た時、大きな課題が残されていることを感じた。
2007年
5月
21日
月
小学校の社会科では地図帳が教科書として位置づけられており、帝国書院がほぼ100%のシェアを占めている。工夫されているとは思うが、やや表現が小学生を過小評価しているのではないかと思われ気になっていた。同じようなことを考える人はいるのだろう。100マス計算の実践で有名な陰山英男氏が校長をしている立命館小学校では、独自の地図帳「考える力がつく子ども地図帳」(草思社)を採用している。
いわゆる地図帳に期待する各地の区分図の分量については物足りないものの、この草思社地図帳の特徴は地図への導入部と地形図の大幅な採用である。かなりリアルな鳥瞰図とそれに対応する絵地図風の平面図、そして地形図が並べてあり、それぞれの特徴が分かるとともに、記号化された地形図の背後にあるリアリティーをイメージしやすくなっている。同様の工夫は区分図にも見られ、そこでは地形図とカシミール3Dによる鳥瞰図が並置され、やはり地形図からのイメージ喚起を促進する仕組みになっている。
さらに気に入ったのは、使う目的によっていろいろな縮尺の地図があるという見出しで、京都の1:10,000から1:200,000が並置され、同じ場所の地図でも描かれ方が全然違うことが暗に感じ取れるようになっている。異なる縮尺の地図やイラストマップ間の対応課題の成績が、社会科の学力テストによれば社会科中でも低いレベルにあることを考えれば、異なる地図の並置という工夫は、地図を読む学力を高めることにつながるだろう。
考える力が付くかどうかは、使い方次第だと思うが、この年代の子どもに積極的に地形図を見せる姿勢とそれを裏付ける鳥瞰図との並置という工夫は評価したい。
2007年
4月
04日
水
ロゲインというスポーツがアウトドアアスリートの間でちょっとした人気を呼んでいる。私が参加しているナヴィゲーションとランニングのチームあじゃりで一昨年とこの春ロゲインの大会を、奥武蔵エリアで開催した。いずれもウェッブを中心にした広報だけだったのだが、200名近い参加者があった。中には愛知で参加した大会が面白かったので浜松からやってきたという家族もいた。
ロゲインとは簡単に言うとスコアオリエンテーリングの巨大版である。スコアオリエンテーリングは地図を使って制限時間にできるだけ多くのポイントを回り、そのポイントに付けられている点数が得点になり、その合計得点を競うという競技である。通常のスコアオリエンテーリングは制限時間が90分だが、本当のロゲインは24時間!私たちが開催しているロゲインでも6時間である。6時間、と聞くと辛そうに思うが、むしろ時間が長い分余裕を持って、のんびりしたペースで楽しめる。低強度のトレーニングとしてトップアスリートもいれば、ハイキングの延長で楽しむ家族連れもいる。時間が長い分、楽しみ方に幅が出てくるのだ。実際、今回のロゲインも、トレイルランナー、マウンテンバイカー、オリエンティアなどのアウトドアアスリートから家族づれまで幅広い人たちが集まった。
感想を見ると、「ただ走るより楽しい」「自分にあったテンションで楽しめる」「広くて様々なコースが楽しめる」「体力勝負だけじゃないスポーツの楽しさを味わいました」など、規模故の自由度を参加者が楽しんでいた様子がうかがえる。
こんなゲーム感覚で、多くのアウトドア関係者がナヴィゲーションや読図技術に親しんでもらうのも、アウトドアの安全の効果的な戦略の一つなのかもしれない。