2021年
9月
25日
土
ブレークスルー感染とはキャッチーな言葉だ。すさまじいことが起こっているような印象がある。本当だろうか?
この言葉はワクチンを2回接種して抗体ができているはずなのに感染している現象をさすらしい。だが、もともとワクチンの有効性はファイザー・モデルナともに95%程度らしい。ということは20人の一人はワクチン接種をしても感染してしまうことになる。5%は統計法では「滅多に起こらないこと」の代名詞になっているので、高い確率ではない。しかし、低くもない。これまでの国内感染者は150万人強だから、単純計算しても(そう単純ではないかもしれないが)、国民全員がワクチンを接種していたとしても7.5万人は感染することになる。これまで一日の感染数が最も多い日は2万人くらいだから、同様に5%なら1000人だ。第二波とされた昨年の8月でもこの2倍には達していない。しかも、95%の有効性というのはワクチン以外の要因は統制しているはずだから、それ以外で感染につながる条件が加われば、効果は当然低くなる。
例えばマスクである。マスクには飛沫の飛散も吸い込みも防止する相当の効果があるようだが、感染率についてのデータはネット情報で見ても2%から79%で、あまりに幅が広い。他の要因の影響が大きいのだろう。仮に50%とすれば、ワクチン接種によってマスクを外せばワクチンの効果は半減する(相乗でよいかは疑問があるが)。飲食場面など、特に問題となる場面で外す動機づけが強いと考えれば、ワクチンの効果はさらに限定的になるのではないか。
ニュースになれば、それが頻度の高い現象だという印象を受ける(これを利用可能ヒューリスティックと呼ぶ)。しかし、珍しいからニュースになることを忘れてはいけない。これまでの感染者数の1/20程度にあり得る現象なのだ。淡々と対応しつづけなければならない。それ以上でも、それ以下でもない。
2021年
8月
29日
日
災害で逃げ遅れた人がでる度にマスメディアに登場する言葉が「正常性バイアス」や「楽観主義バイアス」とう言葉だ。
曰く、「正常性(楽観主義)バイアスのために逃げ遅れた」。あまりによく使われているので、ああ、そうなんだな、と漫然と思ってしまいやすい。
楽観主義バイアスには、それを実証するオリジナルの研究がある。平均的な同じような属性の人(大学生が研究協力者であれば大学生一般)と比較して、自分がどの程度そのようなリスクに陥る可能性があるかを聞き、「その全体平均がゼロより小さい」ことで、「全体に楽観視がある」と結論づけている。しかし、心理学で重要な雑誌の一つであるPsychological Reviewに2011年に掲載されたHarris & Hahnの論考によれば、正確に自己認知が出来ている集団でも一見楽観主義バイアスに見える結果が得られる。
たとえば、5%が掛かる病気に(たとえばがん)になるかならないかを判断する課題を考えてみよう。5%が罹患するから、正確に自己認知ができている集団では95%が自分ががんになる可能性を0%と認知する。一方5%の人は100%と認知する(個人にとって、ある病気は結局なるかならないかどちらか)。オリジナルの研究は、自分と平均値を比較し、それを-3から3の7件法で答えさせる。-3なら、平均より自分がなる確率はかなり低く、3なら平均より自分がなる確率はかなり高い。正確に自己認知ができている集団では95%の人は-1を選択する(0%は5%よりちょっと低い)。一方5%の人は+3を選択する(100%は5%よりかなり高い)。この時、回答者の回答平均値は-0.8となるそうだ。完全に自己認知ができている集団のはずなのに、0.1%の有意水準で「楽観的バイアス」という結果になる。
彼らの論考は正常性バイアスについては、考慮していないが、正常性バイアスも「大事故になるような状況で対応行動を取らなかった」という事態を指していると考えれば、同じような測定上の仕組みに作られた結果の可能性がある。たとえば、遭難の発生数はだいたい登山1万回に1回程度で発生するが、ヒヤリハットは1万回に2500回(つまり25%くらい発生する。もちろん、対応したからこそヒヤリハットで済んだものもあるだろうが、多くは「たいしたことにはならない」。正確に自己認識できている集団でも、たいしたことにならない、が大多数になる。
もちろん、「だから対応しなくてよい」と言いたいのではなく、そのような行動を「正常性バイアスのせいだ」ということは何も説明しないどころか、真の解決法を隠してしまう危険性があるということを指摘したい(これについては、最近読んだ「認知バイアス」(鈴木宏明)が「認知バイアス」バイアスという、我が意を得たりのネーミングを与えていた。
毎年恒例の山と渓谷9月号の遭難対応号で「遭難と心の話」の監修の相談があった時にも、まず解説を求められたのが「正常性バイアス」だったが、「正常性バイアスを撲滅しよう」と話したところ、編集者もライターさんも理解してた。2pなので、内容的にはやや物足りないが、これまでとはひと味違う「遭難心理」の話に仕上がったと思う。山と渓谷最新号(9月号)掲載、ぜひご一読ください!
2020年
8月
09日
日
3月に、コロナウイルスの感染が広がりつつあるころ、23区の新型コロナウイルスの感染数の地域的偏りが気になっていた。港区とか杉並区とか、なんか裕福な場所で発生が多くないかな?バイアスの掛かった予測で申し訳ないが、多そうな下町地区の発生も当時はほとんどなかった。最近別件で、区ごとの感染数を調べたついでに区民一人あたりの所得との関連を検討してみた。区ごとの感染者数も10万人あたりの発生数も公表されている。別途、区民ひとりあたりの所得も簡単に入手できた。
二つの変数の間に(直線的)関連があるかどうかの指標である相関係数を算出するとr=0.335で、意外と低いなあ、という印象。相関係数は1が最大値で、0の場合は無相関(関連がない)、一般的には0.4を越えると中程度の相関と呼ぶ。それに達しない訳だ。
散布図(図参照)を描いてみると、所得と感染数の直線的な関係から外れる値(外れ値)が一つある。所得に鑑みて異様に感染者数/対人口が多いのだ。お察しの通り新宿区である。歌舞伎町を有する新宿区は、緊急事態宣言解除後、いわゆる「夜の街」の感染が多発していた。別の要因が働いている可能性がある。
そこで新宿区を除いて22区で相関係数を計算すると、r=.713となった。一般的に強い相関がある、という値だ。データの種類にもよるが、研究者はこれくらいの相関が出たら結構嬉しい。所得は感染数を50%くらい説明していることになる。
こうしたデータから、その背後にあるメカニズムを推測するのは研究者の習性だ。さっそくFBにアップすると、アメリカに在住する知人が「アメリカとは逆だ」というのだ。アメリカでは、所得が低いほど感染が多いらしい。確かに所得が低ければ衛生状態が悪かったり、衛生観念が低かったり、医療的対応を受けにくかったりするだろう。ではなぜ逆か?
私の推論はこうだ。このデータは7月初期のものなので、まだ第二波の影響は大きくない第一波の影響下にあるデータだ。第一波では基本的には感染は海外由来だ。海外に出かけ、そこで濃厚な接触をする層は比較的所得は高いだろう。また海外からの渡航者と濃厚な接触があるのも、比較的社会的な階層の高い層だと考えられる。結果として、比較的所得の高い層の感染が多く、結果として所得と感染数の相関が高くなった。
もう一つの要因は、コロナウイルスの感染力があまり強くないことかもしれない。物理的接触は、大都会なら所得階層間でも発生するだろう。しかし、会食や対話といった濃厚接触は仕事仲間にしろ趣味仲間にしろ、思っている以上に社会階層に制約されているのかもしれない。結果として同一の社会階層には広まり易くても、それ以外の階層には広がりにくい。結果として、所得と感染の関係が維持される。
3月ごろ、密度が高いことからパチンコがやり玉に挙がっていたが、私はおそらくパチンコでは感染は当面ないだろうと思っていた。まず会話がないこと。そしてコロナを持ち込んだ社会階層との接触が少ないと考えられること。今のところ、パチンコでクラスターが発生したというニュースはないので、あながち、その推論は間違っていなかったのだろう。
ソーシャル・ディスタンシングが問題になるということは、社会行動が感染の重要な要因になっているということだ。だとすれば感染防止策には人文社会学者の出番があるはずだ。専門家会議では経済学者は採用されているが、残念ながら社会心理学者や行動科学者は採用されていない。オールジャパンで立ち向かうなら、人文の知も活用したいところだと、我田引水ながら思う。
2020年
5月
30日
土
2003年に初めて体験活動のリスクについての本を上梓した時、危険について語る言葉が偏っていることが気になった。危険について語る言葉にはスローガン、視点・方略、ノウハウがある。スローガンはどんな場面にも当てはまる抽象的な言葉で、実践を生み出す力は(多くの人に対しては)ない。「遭難に気を付けよう」みたいな言葉だ。
一方ノウハウはある場面では確実に役立つが、それ以上の力を持たない。自然の中では危険が多様なものであることを考えると、いくらノウハウを積み重ねても、必ず新しい事態に出会うので、対応ができなくなってしまう。どちらの言葉も不十分だ。おそらく優れた実践家はそのどちらでもない、こんな方向性で考えたらその場に適した方法をその都度効率的に生み出すことができるだろうというような考え方を持っているのだろう。認知心理学の世界では、これを「実践知」と呼ぶ。2003年に書いた本で、私はこれを「視点・方略」と名付けていた。ノウハウのように具体的でもなく、スローガンのように分かりやすくないので、それらは言葉にしにくい。言葉にして伝えられる理論知と対比して実践知と呼ばれる所以である。
視点・方略という観点から見た時、コロナウイルス対策の3密は的確なリスク対応の言葉だと感じた。実際にはそれに2mとか5分とか、二方向の換気とか、より具体的な条件が付くのだが、3密という言葉から、個々の具体的場面でどう行動すべきかを一人ひとりが判断することができる。逆に「これはやばいだろう」と判断することもできる。このような言葉を使いこなすことが、様々に変化する自然の中でもうまくやっていくことにつながる。それはアウトドアの安全にも寄与する。
もっと具体的に言ってくれ、という批判も出た。何よりリスクは、現場現場で異なる。それに対して良識的に判断できる国民が増えることはリスクを下げつつ、行政への負荷も減らし、結果として社会全体がよりスムースに活動を維持することにつながる。だから、こうした言葉を使いこなす国民が増えることは国としてのレジリエンスを高めるはずだ。そう思うと、「具体的に言ってくれ」という声が上がることが残念に思われる。
実際、日本はスウェーデンと同様、緩~い行動規制を引いた。スウェーデンとは違うタイプかもしれないが、国民の行動への信頼があったのだろうし、それに国民も概ね応えたと思う。法的限界があったからにせよ、それを前提に日本の(クラスターを主軸とした)コロナ対策は立てられている(これはNHKスペシャルで西浦さんや尾身さんも言及していた)。
日本山岳スポーツクライミング協会が他の山岳3団体と出した自粛要請も、この観点からすると残念な内容だった。あれでは、リスクに対する思考が深まらない。何かしなければという気持ちは理解できるにしても、せっかく手に入れたリスクについて考えつつ実践できるツールを生かせるようなメッセージにできなかったものだろうか?
2020年
1月
13日
月
九州でのトレイルランニングフォーラムに参加した。午前中は福岡に本社のあるYAMAPのオープニング・トーク、その後気候変動に関するシンポジウムが開催された。YAMAPはIT×自然の中では50人を越える従業員を抱える尖った会社である。登山に欠かせない位置情報を提供するだけでなく、登山者のコミュニティーを形成することを目指す、その成果として得られた膨大なルートを安全登山に活用する試みにも注目していた。起業家らしい概念的トーク、技術的なトークも面白かった。
午後、地図読み講座をやる予定になっていた私はちょっと心配になった。このトークを聞いたら誰も僕の講座を聴きに来ないんじゃないだろうか?結果は杞憂で、2コマのセッションで合計100人くらいの人が地図読みの話を聞きに来てくれたのだから、参加者も、「スマホ・タブレットだけではだめだ」と分かっているのだろう。しかし、大事なことは「なぜダメか?」
講習の前半で、登山で何のために地図を読むのかという話しをした。事前のプランニング、移動中の先読み→ルート維持→現在地の把握、これら1ステップづつをサイクル的に実行することで間違いなく効率よく現地に着くことができる。決っしてけちを付けようとしているのではない、と前置きをして、「YAMAPでできるのはどれでしょう?」と問いかけた。現在地の把握、これは確実にやってくれる。ではルート維持は?カーナヴィと違ってその機能はほぼない。もちろん、ルートを外せば現在地が予定ルートから外れていくから結果的にルート維持はできる。だが効率的とは言えない。先読みはもちろんしてくれない。事前のプランニングもできない。また、緊急事態や予定変更を余儀なくされて、戻るべきか進むべきか、あるいはエスケープすべきかを判断する時、事前に地図を広範囲で把握しておけば、予定外のルートも速やかに計画できる。戻る/進むの判断も適切にできるだろう。
ツールの特性、そして自分の身を守るためにすべきことを明確にして、はじめてツールが最大限かつ適切に利用可能になる。同じことは、防水透湿素材についても言える。ゴアテックスを代表とする防水透湿素材のパフォーマンスには盲目的な信頼がある。果たしてこれはツールの特性を把握してのことだろうか?これらの透湿素材の透湿量は最初見たときには「マジか?」と思うくらいの桁外れである。13リットル。完璧でしょ、と思いたいが、単位はなんだろう?/日/平方メートルである。つまり1日あたり、生地1平方メートルあたり13リットルである。それでも凄いが、まず一日の行動時間をたとえば6時間、アウターの上の面積をざっくり1/2平方メートル、割り算をしやすくするため透湿量を12リットルとしよう。この生地が最大のパフォーマンスを発揮した場合、12÷2÷4で1.5リットルだ。つまり着用中にこのアウターは最大1.5リットルの水分を出すことができる。一般に登山では体重×時間×5(ml)の水分補給が望ましいとされている。この全てが汗という訳ではないが、仮に1/2とすると、体重60kgの人が6時間に発汗する量は900mlとなる。十分1.5リットルに収まっているように見える。
しかし、そもそも13リットルという透湿性能は日本工業規格のテストによって得られる。それによると、生地の一方で相対湿度条件下90%で、生地の反対側で吸湿剤で吸湿する条件でどれだけ水分が通過するかというテストで計測されている。計測法はいろいろだ、いずれも、生地の表裏でかなりの湿度差がある条件で計測されている。一方で、実際にレインウェアが使われる環境はどうだろう。身体の側が仮に100%であったとしても、外側の湿度もかなり高い。梅雨時であればほと100%に近い条件もあるだろう。このような条件では透湿のパフォーマンスはかなり落ちることが予想される。控えめに半分と見積もっても、1.5リットルは750mlとなり、発汗量を全て排出することはできない。150ml、つまりコップ1杯分の水を衣服内にぶちまけたのと同じだけの水分が残る計算になる。
ツールの性能は機械的なものだから、利用者の気持ちを忖度し性能を高めるということはありえない。ツールの性能を知れば、やはり過信をしてはいけないということが理解できるだろう。これもまた、主体的、自律的に自分の身を守ることの一つなのだ。
2019年
11月
17日
日
大学の防災の授業で、ハザードマップを紹介し、その使い方を学ぶという内容を扱っている。ハザードマップとは、火山や地震、風水害などの自然災害の影響範囲を記すことでそれらに備えるための地図である。21世紀に入ってから、多くの自治体で作られ、ウェブでは風水害と津波、についてのシームレスな地図を見ることができる。
(ハザードマップポータル:http://disaportal.gsi.go.jp/)
授業で対象にしたのは風水害の地図で、地図上に記した6点に、住みたくない順(つまりは危険度の順)に順番を付けるという課題だ。その結果が読図能力という点からも、個人のリスクマネジメントという観点からも興味深い。
風水害は大きく2種類に分けられる。土砂災害と洪水だ。土砂災害は地すべり・崖崩れと土石流に分けられる。前者は急斜面が崩壊するもの、後者は渓流から水と土砂が押し流され、平野部にぶちまけられることで、被害が生じるものだ。数年前の台風による広島の災害も土石流だ。これらの風水害はその内容から分かるように、地形に依存している。洪水は低地に起こりやすいし、土砂災害は急斜面の下部に影響を与える。特に土石流は、谷口から扇状に広く影響を与える。ハザードマップポータルは地形図に重ね合わせて表示されるので、このことは「一目瞭然」である。
この課題を学生に対して実施すると、意外と正しく回答できないことが分かった。初見ならそれも仕方ないだろう。しかし、この課題の前に、学生が住む大学周辺の地形図を使って、各自で予測させ、さらに等高線を強調した地形図とオーバーレイさせたものを提示し、どんな場所が災害の影響を受けやすいのかを考えさせた上でのことだ。もちろん、洪水なら低地、土砂災害なら急斜面との関係が大事だということは彼らも答えることができる。
回答理由を聞いてみると、地形図から地形がうまく把握できていないようだ。等高線が読めるものにとって平らな低地、急斜面、あるいは渓流の谷口は自明なものだが、多くの人にとってはそうでもないらしい。
災害において、「想定外に備えること」の重要性が指摘される。それは結局は一般的に想定されている以上のことを想定せよという意味に過ぎない。自分で災害の影響を想定する時、なんらかの手がかりがなければ、その想定はデタラメな妄想に過ぎない。災害がどのような特徴で発生するのか、そして、空間の中でその特徴を把握できることは、想定が意味あるものである必要最低要件となる。地図が読めるこということは、その重要な構成要素となる。
なお、上に示したハザードマップポータルで身近な洪水影響範囲を見る時の重要な注意として、デフォルト表示では中小河川の洪水影響範囲が表示されない点が指摘できる。「表示」マークのついていない「計画洪水影響範囲」を表示させて調べることが必要だ(「全部表示する」を選択してもよい)。
2019年
7月
07日
日
毎年、初夏になると警察庁から、昨年の山岳遭難の概況が発表される。夏山の登山シーズンに向けて、警鐘を鳴らす意味もあるのだろう。その報告も合わせて、全山遭(全国山岳遭難対策協議会)が開催される。この協議会、数年前までは各県持ち回りで行われていた。各都道府県の救助活動お国自慢のような部分も正直あった。遭難対策とは言え、救助活動、つまり何かが起こった時のダメージコントロールが主として紹介されていた。
各県持ち回りから東京での毎年開催になってから、内容が変わりつつある。ダメージコントロールから、未然防止も含めた対策へ。長野県あたりが総合的な山岳遭難対策を打ち出した頃と軌を一にしている。
7月5日に開催された今年の協議会は、一段と先鋭化の度合いを増していた。圧巻だったのは富山県自然保護課の「安全登山対策の更なる充実に向けて」という報告書である。未熟な登山者が圧倒的に多いというリアリズムに基づき、ダメージコントロールと未然防止という二つの側面から、安全登山の対策をまとめたものだ。さらに、未然防止とダメージコントロールをソフト(対人管理)/ハード(対物管理)でマトリクスにし、総合的な安全登山の名に恥じないものとしている。自助共助公助といった災害対応では当たり前のようになっているが、遭難救助ではパターナリズムのもとで忘れられがちな視点も盛り込まれている。
IT関係の技術による遭難防止、遭難救助の発表が多かったのも今回の特徴だった。日本山岳ガイド協会が運営している登山届提出サイト「コンパス」と連動したドローンによる遭難者発見の実証実験の話も興味深かった。「コンパス」というサイトがあることは知っていたし、そこには下山届を出したり、それをチェックして、下山が確認できない場合には家族等に連絡する機能もあることは知っていた。さらに、スマホを持っていれば登山者の通過を自動的に把握できる「スマート道標」によって、通過位置の特定まで可能になるという。この発表では、それにドローンを組み合わせて、行方不明者の捜索を効率的に行えるという。「コンパス」をプラットフォームにして、遭難対策が効率的に展開される可能性が提示された。
こうした技術が進む中、登山者が「持っていさえすれば安心」「持っていれば助けてもらえる」という人任せになることには懸念がある。ドローンによる実証実験を行った鳥取県も、警察官は全県で1000人ほど。実際に、実証実験ほどの捜索隊を編制できるのかという危惧もあるという。こうした意味でも、山のリスクに対しては自助が基本であることは変わらないと感じた。自らリスクあるが故に魅力的である場所に入っていること、まずは自分での対応が求められていること、それと同時に、リスクに対応すること自体が山の魅力だということをより多くの登山者に理解してもらうことも重要な課題だ。
こういう全国協議会というのは、「遭難は漸増傾向、高止まりが続いている。我々が頑張ろう!」という勇ましいスローガンに終わりがちだが、だが、現実には限られたリソースでやっていかなければならない。救助隊も組織である以上、自分たち自身の安全にも留意してやらなければならない。コンプライアンスも重要だ。そうしたジレンマの中で山岳救助もやっていかなければならない。遭難救助のリアリズムが強く意識しているという点でも、画期的な協議会だった。
(写真は富山県自然保護課の発表)