2025年1月に開催した有度山トレイル三昧、今年もトレラン、ロゲイニングともに盛況でした。特に久しぶりに開催した清水地区の魅力が伝わったようで、好評でした。運営あるいは参加の皆様ありがとうございました。こちらの報告については、次号ブログでお伝えします。
今回は少々簡易版で、前回の最近の活動から「南国の魅力:タイでのアジア選手権」の続きをお届けです。
詳細は「現在・今後の活動のご紹介 」からご覧いただけます。
<主催事業>
<他団体による主催(M-nop協力・村越の講師参加等)>
前回に引き続き、昨年12月にタイで開催されたアジア選手権の様子をお伝えします。
微地形に富んだ大地、通行自由な植生、地図と大地を精緻に写し取る情報源を使ってのナヴィゲーションスポーツ、全ては北欧の風土から生まれたオリエンテーリングに適した環境とは言いがたい熱帯地域初の選手権大会。いったい何が起こるのか!?まずは登場人物の紹介です。
まず日本からは3名。落合公也さんは国際委員会委員長も務めている海外通。私がSEA(シニアイベントアドバイザー:国際連盟から派遣されたイベントの質保証のための監督官)を引き受けた時から、運営協力する気は満々で、イベントの要であるフォレストのコースプランナーを引き受けてくれました。坂野翔哉さん、オリエンテーリングを生業にしているプロの運営者。2023年末の香港のアジアジュニアユースでは、持ち前の積極性でSEAであった私の右腕以上の活躍を果たしました。その縁で、間違いなく人手不足になる本大会での秘密兵器としてリクルート。スプリントのコースプランナーを引き受けてもらいました。やっぱりもう一人ほしいな。そう思っていた時、ヨーロッパ放浪の旅を終えたエリートランナー寺垣内さんがふらっとうちに遊びに来ました。誘ったところ、併設のコーチングクリニックに興味があるので、それに出る時間がとれるならと加わってくれました。
日本に次ぐアジアのオリエンテーリング強豪国である香港からも頼もしい助っ人が集まりました。23年12月のジュニアユース(AsJYOC)の際、香港の旧友ドミニクに「絶対人足りないので支援してほしい」とお願いしたところ、AsJYOCで1日競技責任者をしたダニエルが参画。AsJYOCを通して彼らの働きぶりも分かっているだけに、安心してスケジューリングと資材準備を任せることができました。実際、大会が近づいた秋から大車輪の活躍。地図調査についても、香港のプロマッパー・チューとその仲間たちが受託し、彼自身スプリントのプランナーと計測を引き受けてくれました。おまけに、彼の若い友人であるブライアンも加わってくれました。日本と香港のエキスパートたちで、技術的な中核はほぼ押さえられました。
アシスタントSEAを努めてくれたのが、シンガポールのユージン・チョー。東南アジアでのオリエンテーリング普及の立役者です。国際ルールについてはまだまだ勉強してほしい彼ですが、アメリカで学位をとり、オリエンテーリング普及を企業的に進めているのでマネジメント能力も高く、英語も堪能。私が拙い英語で単語をいい淀んでいると、「××」とさっと補ってくれるスマートさでサポートしてくれました。
さらに、国際オリエンテーリング連盟のフットO委員会のウルス・アシュリーマン(1990年代にスイスが世界最強チームだった時のコーチ)が加わりました。「今のフットO委員会の奴らは、官僚的になっちまって、事件が現場で起こっていることを忘れている。おれは現場での支援がしたいんだ!」という暑苦しい奴。1990年代には危険な香りを振りまいていた彼もいまや還暦。ジョークの応酬が楽いスイス人です。
こうして8人の侍が集まりました。さらにホスト国タイから、トライアスロンで有名なビルが、オリエンテーリングのことはほとんど分からないながら総務を一手に引き受けてくれました。彼らが本気になったら、競技の根幹に関わる部分は確実にハイクオリティーにできる、でもきっと毎日が緊張のしっぱなしだろうけど・・・。
最強メンバーが現地で揃ったのが12月19日。大会の3日前にもかかわらず地図は1枚も印刷されていません。テレインとコントロール回りの最終チェックをし、それをチューが地図に反映させて、私のコース図のチェックを待って、街の出力屋に駆け込んで印刷という崖っぷちのスケジュール。休前日は出力屋が14時に閉店になってしまうので、チューは14時まえに店に入り込み、「もう閉店なのだが・・・」という店主の言葉を無視して、私のメールでのチェックとOKを待ってから入稿。時間の概念がない東南アジアらしいというか、綱渡りというか・・・。そうやってなんとか、オリエンテーリングの一番の核である地図ができあがったのでした。
翌20日になると、Arrival、つまりチームが到着し受け付けをします。選手権を競う大会では、パスポートで個人の特定が必要ですから、なかなか大変。受付のスタッフは現地のボランティアたちなので、オリエンテーリングのことはほぼ知らない。必要な手続きをその場で教えながらの受付ですから、スムースに行くわけがない。たとえば「チームでまだ一人来ていないのだが、モデルコースの地図だけでも先にもらえないか」と、イレギュラーな対応をお願いしても、その可否の判断ができないボランティアスタッフはNGを出すしかない。「そんなこと言ったって、当該選手はモデルの当日、直接会場にいくんですよ。地図なしじゃあモデルにならないじゃないですか!」といっても、「さあ・・・」としか答えられない。こんな時、SEAは、そのチーム役員を「まあまあ・・・」となだめ、実行委員会のスタッフには「こういう理由で許しても大丈夫だから」と説得し、チームと実行委員会の関係を円滑にする役割を担います。こんな運営だから、問題が起きるに決まっている。その際に、トラブルがこじれないよう、チームが理性的に納得してくれるような関係作りもSEAの仕事になるのです。
スタートからフィニッシュの間以外では、どんなトラブルも起こりえるだろう。秋のうちから公言していました。こういう国で運営に携わる時の心構えはそれにつきます。選手権大会では会場までは主催者の用意したバスで一緒に移動することが一般的ですが、このバスが道を間違えるというトラブルは「古典的トラブル」とさえ呼ばれています。さすがに今回の会場は巨大な公園だったり、学校だったり、間違える余地がないとたかをくくっていたら、やってくれました。
モデルイベントの日、バスはまずフォレストのモデルイベントに向かいます・・・と思いきや、なんとミドルのフィニッシュ会場に到着。おかしいと思い、香港の友人に電話を借りて、ユージンに電話してみると、やはりバス運転手が翌日の行き先と間違えたらしい。慌ててビルに連絡して、バスを正しい目的地に向かわせてもらいました。
翌日からの私の重要な仕事は、ホテルを出発する前にバス運転手の中で英語ができそうな奴に、何も知らないふりをして、「今日はどこにいくの?」「この後のスケジュールはどうなっているの?」と世間話のふりをして、彼らが正しい情報を把握しているかを確認することになりました。おまけにミドルのスタートエリアにある展望茶屋はトイレの数が足りないので、バスのトイレを使うことになっていたのに、運転手は「そんなの聞いてない。動いていない時はダメ」。「いやいや男はいいんだよ。でも女の子が困るでしょ・・・」と言って説得し、5台のバスが30分おきにフィニッシュに戻る手はずになっているのを確認すると、「いや、バスはみんな一緒に動くよ。一緒じゃない動けないから」これもタイのスタッフに確認してもらい、5台のバスを2台づつに分けて運行してもらう交渉をその場で実施。運ちゃんとも大分仲良くなりました。
バスは一緒でないと動けない、この部分には少し補足が必要でしょう。タイの農村では電線がかぎりなく低い。ハイデッキのバスだと電線にひっかかってしまうのです。バスにはその電線を持ち上げるための棒がちゃんと準備されているのですが、ガイドがいないときには2台のバスの一方の運転手が電線を挙げているうちに、もう一方が通過。通過後はその運転手が竿をもらいうけ、一方のバスが電線の下を通過するという、なんとも牧歌的なバス運行です。
まさに事件は現場で起こっている。こんなこと現場に来ないと想像もつきません。それを一つ一つ乗り越えて、参加者に満足してもらうイベントに近づけていく作業は辛くもあり、楽しくもあります。イーロン・マスクは「1日に16時間働け!」といったそうですが、私たちは働きました!次回はスプリントとフォレストのイベントの顛末を紹介します。