静岡大学の美術・デザイン専攻の学生内山晃輔さんが二科展の奨励賞を受賞した。Go or stop? Control your destiny, or someone else will.というのが主題で、昨年も同じモチーフでポスター大賞に入賞している。今回は子どもの滑り台にやはり信号機や警報器が乱雑に取り付けられている構図だが、昨年のポスター大賞受賞作は、見上げたアングルの鳥居に信号機が乱雑に取り付けられている。観る者の宗教観を問われるような構図だった。
control=制御は、過酷な自然の中でのリスク管理に欠かせないキーワードだ。数年前、「死と隣り合わせ」に思える高所登山家にインタビューをしたり、彼らの書いた記事を分析したことがある。ほとんどの登山家が「危険を制御している」「制御できないリスクは嫌いだ」、さらに「リスクを制御することに喜びを感じる」と語っていた。
リスクとは定義的に確率的な概念で、本来制御とは相容れない。しかし、自然の中で個人にふりかかるリスクの場合には、リスクを高める要因や兆候を感知することができる。たとえば精度の高まった天気予報は、かなりの程度リスクの変化を教えてくれる。もちろん、観天望気はその場でのリスクの変化を教えてくれる。そして感知してから重大な損害が発生するまでに主体的に制御可能であれば、個人的なリスクは一定程度まで制御することができる。自然の中で命を守るポイントはそこにある。
制御可能なリスクがあるのは、自然の中だけではない。たとえば交通事故。交通法規を守って交通参加者になることは、交通事故のリスクを制御する基本である。だが、可能な制御はそれだけではない。リスクは不確実性の影響のことでもある。たとえ信号が青でも、そこには赤信号で車が突っ込んでくるというリスクがある。これはあり得るというレベルの話ではない。そのようなリスクを前提とする時、青信号に対して機械的にわたることは、他者が交通法規を守ってくれることに、いわば運命に命を預けたことになる。
残念なことに、運命を他者に預けることの悲劇的な結果を時々、見聞きする。約1年前、私が所属する専攻を卒業した学生が交通事故に遭って亡くなった。まだ20代後半だった。彼と職場が同じだった知人が「自宅近くの横断歩道を渡っていた時に事故にあったらしい」と教えてくれた。ポスターのモチーフからすれば、彼はその時、自分の運命を他者の制御に委ねてしまったのだ。もちろん、交通法規を守っていれば十分自分の運命を制御できる世界が望ましい。その一方で、そうでないことが現実なのだ。小学生に限ってであるが、歩行中の事故の約7割が、歩行者に違反無し、というデータもある。
私たちの生活は、様々な法規によって安全が守られている。意識するにしろしないにしろ、「だから安全だ」と考えることは、自分の運命を他者に委ねていることになる。このポスターはリスク研究者からすれば、そう語っているようにも見える。
このポスターは、たとえば、以下のURLで観ることができる。
https://shizuoka-univ-art-education.jimdo.com/2017/04/05/科展デザイン部において-4年生の内山晃輔君がポスター大賞を受賞/