コラム122:人事を尽くして天命を待つ

 ノースフェイスさんから2016年の春から夏のカタログをいただいた。これが滅法かっこいい。黒い表紙にノースのロゴ。しかし、感心するべきはそこではない。サポートしているアウトドアアスリートたちからのインタビュー記事が添えられているのだが、これがデザイン以上に印象的なのだ。


 アルパインクライマーの馬目裕仁さんのインタビューが掲載されていた。高所登山に取り組むクライマーの中にはガイドを生業にしている人がいる。しかし、自分自身の挑戦である登山とガイド登山とはリスクに対する意識という点でも大きな違いがある。馬目さんは、その両立はできないということで、自ら「木こり」を生業にしているという。


 「自分自身では制御できない不確定要素、それに挑戦することへのあこがれです」と、言葉が引用されている。これは分かる。アルパインクライマーの多くが同じようなことを言う。不確定要素への挑戦は高所登山の本質といってよい。しかし、「不確定要素」に対する態度は、一般の人とはかなり 違っている。「かなり雪がひどくて、これは命に関わると判断して初日で敗退を決めた」という言葉も引用されている。「制御できない不確定要素」といいつつ、それを意識すると同時に、どう対応するかという点ではかなり保守的なのだ。


 さらにしびれるのが、よく言われる「退く勇気」に対する考え方だ。「合理的に考える力があれば、敗退は難しくない」と、「退く勇気」を否定する。「先に進むかどうかは、本当に駆け引きが難しい。ただ、僕はそこから敗退できるかってことは常に考えている。」やっぱり大きな枠組みでは自分でコントロールできる範囲がどこまでかを常に意識しているのだ。

 

 最後に名言で締めくくられる。「登頂はいつでもあきらめられるけど、帰ることを諦めるわけにはいかないですから。」もちろん、高いリスクに挑戦する冒険家たちで「諦めた」人はいないだろう。だが、彼の言葉には「結果として諦めるようになる行為」も含めてコントロールしていこうという強い意思が感じられる。

 

 ライターの名前は出ていなかったが、一見した矛盾のある馬目さんの考えを、文章からちゃんとトレースできるほどに書いたライターもファインプレーだ。すぐれた実践家の一言も、正確な書き手がなければ伝わらない。こんなライターがもっともっと育てば、山のリスクに対する登山者の意識も変 わるはず。


 諦めという言葉で思い出したことがある。最近見た新聞の投稿記事で「大災害に対してはどこかで諦めが必要だが、それは何も考えずになるようになれ的な諦めではなく、覚悟のあるあきらめだ」(佐伯啓思(2016.5.5朝日新聞)という主張が出ていた。心理学で数多くの「不確実性」に関する研究がおこなわれているが、その不確実性は実は性質のことなる二つの要素からなる。一つは知識不足による不確実さであり、もう一つは確率事象による不確実さだ。たとえばバスの時刻表を知らなければバスがいつ来るかは不確実だ。これは前者である。しかしいくら時刻表に精通しても、バスの来る時刻には不確実さが残る。交通状況、その日の天気・・・。これは確率的な不確実性で、知識だけでは解決しない。前者に対しては常に努力が必要だ が、同時に後者に対する諦観も必要だ。これは大震災でもリスクの高い活動でも同じだ。

 

 高所登山家の言葉は、「人事を尽くして天命を待つ」心構えを示してくれる。

NPO法人Map, Navigation and Orienteering Promotion

 オリエンテーリング世界選手権の日本代表経験者、アウトドア関係者らが、アウトドア活動に欠かせない地図・ナヴィゲーション技術の普及、アウトドアの安全のために設立したNPO法人です。

活動をサポートして下さる方を募集しています

2015年3月のシンポジウムのプログラムと村越の発表資料を掲載しております。

初心者に最適なコンパス、マイクロレーサー