コラム118:組み体操

 恐れていたことが起こった。そう書くと、とうとう死亡者が出たのか、と感じる人もいるかもしれない。小学校から中学校の運動会で、組み体操は花形種目らしい。成功させるには、ハードな練習をしなければならない、恐怖にも打ち勝たなければならない。痛かったりつらかったりすることをみんなが我慢しなければなしえないパフォーマンスだ。だから子どもは達成感を得られるし、保護者も感動する。

 一方で、N段ができればN+1段に挑戦してみたいと思うのが人の常だ。未知の領域に挑んでこその感動だ。最近では10段、11段のピラミッドに挑む学校もあるという。10段でも軽く5mは越えているだろう。途中でもし下段の生徒が耐えられなくなったらピラミッドは瓦解する。そのさい無視できないけがが発生しており、医療機関に通う事故だけでも、年間2000件程度が発生しているという。指導技術が高ければより安全にできるという指導者もいる。だが、これに真っ向から異を唱えているのが名古屋大学の教育社会学者の内田良氏である。内田氏は、労働上の安全基準では2mを越えたら転落防止の方策をとらなければならないのに、教育現場で5m以上で生身で活動することが許されるのはなぜだろう、と問う。そしてその背後には感動の陰にリスクを見逃す教育の風土があると指摘する。

 私が問題だと感じている出来事は、流山市教育委員会が全国に先駆けて市内の学校にすべての組み体操のとりやめを決めたことだ。より正確にいえば、このこと自体が恐ろしいことなのではなく、このことがその背後にある恐ろしいことを顕在化してくれたことだ。それと同時に、組み体操の全面禁止自体も恐しいリスクを将来に残しかねない。なぜこれが恐れるできごとなのだろう。少し解説がいるだろう。

 私も組み体操が危険を内包する種目であることに異論はない。内田氏が主張するように人間の背の高さを超える高さでは何かあった時生徒の動きを教員がコントロールできない。生徒が好むと好まざるとに関わらずそのようなリスクに晒されることにももちろん反対である。だが、そこには「リスクが高く、なおかつ制御不能である」という判断基準がある。今回の流山市の取り決めは、一律にすべての組み体操を、というものだ。一律にすべてとした時点で、リスクの評価と評価に応じた対応という、リスクに対して一番大事な部分が忘れ去られる。これまでも組み体操に不安を感じた生徒も保護者も、さらには教員もいたことだろう。現場のリスク感覚を元に意思決定することができず、リスクとは切り離された意思決定でしかリスクに対処することができなかった。今回の流山市の決定は端的にそのことを示している。 そして、全面禁止にすれば、その体質はますます陰に隠れる。学校現場で、オンサイトで感じられるリスク感覚に頼れずのリスクに対する意思 決定が行われるとしたら、現場のリスク感覚はますます鈍いものになってしまうだろう。子どもも教員も、そんなことで将来にわたって身に降りかかるリスクから自分を守っていけるのだろうか。

 内田氏の主張の背後には、目の前にある感動に目を奪われ(必ずしもいつも発生するとは限らない)将来の損害を正確に評価できていないことへの問題意識がある。教育委員会の対応は、目の前のリスク(こどものあらゆるけが、これだけ騒がれている中で事故が起こることによる教委への批判)に目を奪われるあまり、教員や子どもたちの将来のリスク対処能力への弊害に目をつぶったというと いう点で、根底にある問題は何も解決していない。

 一律の全面禁止は、むしろ問題解決を遠ざけてしまう、と私には思える。

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