3月14日、関西大学の青山さんとともに、同大で「道迷いシンポジウム」を開催した。もともと青山さんからは、日本の山岳のサーチ&レスキュー研究(IMSAR-J)の機構のお手伝いを依頼されていた。今回のシンポジウムはその活動の延長線上にあった。とにかく日本の山岳遭難は漸増傾向が1990年代から続き、そのうち道迷いの占める割合が40%を超えるに至っている。道迷い遭難の減少が遭難数減少の大きな鍵だということは、衆目が一致するところだ。
もっとも警察庁の統計で「道迷い」と分類されるものは多様な内容を含んでいる。そのエリアに対する知識が不十分だったり、読図ナヴィゲーションスキルが不十分なケースはもちろん多数を占める。その他にも日没で救助要請に至ったり、パーティーが分離することでその一部が迷ってしまったりするものも道迷いに分類されている。逆に、トラブルのスタートが道迷いであるが、その後滑落等
により救助に至った場合は道迷いとはカウントされていない。2012年に奥穂高岳の通称「間違い尾根」に入り込んで滑落し、低体温で死亡した愛知県男性のケースなどがそれに当たるが、類似のケースは低山でも発生している。
こうした実態や、シンポジウム当日の道迷い事例報告をみても、「地図が読めれば道迷いが減る」というものではないことが理解できる。事前の行程管理は日没によるトラブルを防ぐために有効だろう。登山でパーティーの持つ意味を理解することは、分離などの遭難に対して有効なはずだ。ナヴィゲーションスキルの前に、山に入るとは都市のように簡単に制御できない環境に入ることなのだということ、それに対して自立した活動者としてどうあらねばらないのだ、ということを学習することが必要だ。
旧来、これは山岳会での「修行」の中で、先輩に一方的に諭されながらやってきたことだと思う。説得力に長けた先輩が、上手に諭すことができていればその方法も決して悪くはないだろう。だが、その方法論は今では時代遅れになっている気がする。大学から初等中等教育に至るまで、児童・生徒・学生の主体的な学びを確保するためのアクティブラーニングの方法への模索が始まり取り入れられている。柔軟な思考が要求されるリスク場面の多い登山の世界においてこそ、能動的な学びの方法論が真剣に模索されなければならない。
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