コラム105:安全と教育意義のジレンマ

 7月3日、静岡県の消防学校での水難救助訓練中、訓練生二人があわや溺死という事故が起こった。5mの水深のプールでの着衣泳での立ち泳ぎの訓練中だった。二人はすぐに救助され、心肺蘇生法やAED(実際には利用せず)が試みられた。まもなく二人とも息を吹き返し、最悪の事態は免れることとなった。もちろん、それは消防という日頃からリスク管理を行っている訓練されている組織だからできたことだろう。


 学校教育の場でこのような事故が起こると、訓練内容の見直しということになる。着衣泳、立ち泳ぎという厳しい訓練が問題だ、となる。しかし、ここで悩ましいのは、これが消防学校の訓練だということだ。彼らはここでの研修を終えれば、より厳しい現場に出る。職業の特性上、そこでは命をも危険にさらすリスクがある。訓練を安全にすることはできるが、それでは意味をなさないだろう。何より訓練生自体の将来の命を危険にさらすことになってしまう。


 改めて考えてみれば、このようなジレンマは何も消防学校だけのものではない。通常の学校教育でも、危ないものを全て排除することは可能だ。だが、それは将来どこかで出合うハザードに対する振る舞い方を習得する機会を奪い、リスクを先送りしているだけに過ぎないのかもしれない。先のリスクはそれほど目立たないから、どうしても、今のリスクをどうするか、という話しになってしまう。数十年先のリスクの責任を問われることはないだろうが、今のリスクが招いた結果の責任は、容易に取らされる。これも、リスクを先送りしがちな大きな理由だろう。消防学校という特殊な状況が、教育とリスクが抱えるこの問題をあぶり出してくれたと言える。


 もちろん、訓練と実践とは違う。訓練の場では表面的には同じように危険な内容でも、それは予め了解した上で設定することができるし、最悪の事態にならないようにダメージコントロールをすることもできる。そう考えれば、いたずらに訓練の質を下げて見かけ上の安全を確保するのではなく、コントロールした上で、そのリスクに立ち向かうべきなのだろう。消防学校は、この事故を契機に他の実技訓練の安全点検も行う。現状追認のyesでも、危険に萎縮したnoでもない、リスクを意識し、そのリスクをコントロールする、という発想でそれが行われることが、ジレンマの解決につながるのだろう。

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