少し前に出た文献だが、「ナヴィゲーションの生態学」という論文を読んでいる。生態学(あるいは生態学的妥当性)という言葉の詳細はここでは紹介する必要がないと思うが、簡単に言えば賢い振る舞いを考えるときに、それが行われる環境要因を考慮する必要があるという考え方である。これは実はナヴィゲーション(これ自体も賢い振る舞いのひとつだ)を実践的に考える上でも重要な示唆をもたらす。
英語圏のものも含めて、読図やナヴィゲーションの解説書を見ると、ナヴィゲーションの方法に地域やその特徴を明示的に踏まえているものはない。だが、生態学的心理学の発想に従えば、環境の特徴を抜きにナヴィゲーションの実践が適切かどうかを語ることはできない。やや込み入った話になったので、簡単な例を出そう。
アウトドア活動を行う人なら、誰でもシルバコンパスのことを知っているだろう。またシルバコンパスを使ってまっすぐ進む方法を、付属の解説書を見ながら試してみた人もいるだろう。だが、私はこの方法は講習会でも勧めず、取り上げないことも多い。なぜか。この方法とシルバコンパスという道具が、山の中を自由に移動でき、また針路をさえぎる大きな尾根・谷もほとんどない北欧で開発されたものであり、日本では目的地に到達するためにまっすぐ進むことが有効でない。造山帯にあり、侵食により尾根・谷がはっきりした日本の地形、さらにモンスーン地域にあり多雨のため植生が非常によく繁殖する日本では、直進という方法はまったく役に立たないことが多いのだ。
シルバコンパスという道具は、古期造山帯で温暖な割には植生も貧弱なスカンジナビアの環境にこそもっとも威力を発揮する、ある意味エスニックな道具なのだ。もちろんその道具の有効性は日本でもあるものの、それはシルバの一番の特徴であるプレート以外の部分による。そういう解説を数十年もそのままにしてコンパスを流通させるメーカーもメーカーだと思う。
同じようなことはGPSにも言える。現在地のウェイポイントを登録し、それを利用したナヴィゲーションが機器付属の解説書に載せられていることがあるが、GPSがウェイポイントナヴィゲーションで提示できるのは、目的地となったウェイポイントがどちらの方向にどれくらいの距離にあるかだけである。コンパス直進と同じような理由で、これは多くの日本の山野で有効ではない。
逆のことも言える。私が拙著「最新読図術」で提唱した、傾斜の変換を読み取り位置を確定する、尾根を同定するという方法も、侵食によって尾根が特徴的な形を持ちやすい日本(を含む地形のはっきりした国)だからこその方法だろう。
この場所で有効なナヴィゲーション方法はなんだろう?それを支える環境の特徴は何だろう?それを意識化することが、ナヴィゲーションのスキルを高めることにもつながる。
文献:Dyer, F. C. (1998). Cognitive ecology of navigation. In Dukas (Ed.)
Cognitive ecology: The evloutionary ecology of information processing and
decision making. pp. 201-260. The University of Chicago Press.