コラム54 地図屋の気概(2)

半年ほど前のコラムで、北海道の地形図は概ね登山道が正確になっているという話を紹介した。実は僕自身、昨年の8月に立山・剱に登った時、この地域の地形図の道の情報が更新されつつあることに気づいていた。この時GPSの計測実験をしていたのだが、研究室に帰ってから測位したログをウォッ地図の上に載せてみて、あまりにもログが地図の道にぴったり落ちることに驚いた。しかも、この時同時に購入していた地形図の道は古いままで、ウォッ地図の登山道情報だけが更新されていた。

 

この山域だけ登山道がGPSによって更新されていることを、その時は不思議に思っていたが、それが、日本国際地図学会の学会誌最新号の添付地図を見て納得できた。剱・立山には前から集成図が作られていたが、それが更新されたのだ。縮尺は3万分の1だが、等高線は1:25000地形図のものが使われ、しかも連続段彩(高さによって色を変える表現技法)と陰影によって、地形が立体感を持って表現されている。登山道はディファレンシャルGPSで取得しており、正確かつ繊細。技術はあるが、美しくないと批判されている地理院の地形図だが、やればできるじゃん!。

 

この地形図誕生の裏話がまた泣かせる。剱岳測量のエピソードは山岳小説で有名な新田次郎の「剱岳<点の記>」に詳しい。明治の中頃まで、日本全国の地形図作成は概ね終了していたが、剱岳一体は、地形図の空白地帯になっていた。その中央に位置する剱岳は周囲からも目立っており、測量用の三角点を設置するには格好の場所に思われたが、当時、「登れない山、登ってはならない山」とされていた。しかも、設立されたばかりの日本山岳会がその登頂を試みているという情報も陸軍にはもたらされていた。陸軍陸地測量部の威信を懸けて、測量官柴崎芳太郎が、地元のガイドの協力を得て登頂に成功する。しかし、頂上周辺の急峻さから、3等三角点を設置するための石材を運びあげることを断念し、地図には記載されない4等三角点を設置した。三角点の戸籍とも言うべき「点の記」が作成されるのは3等三角点までである。

 

点の記が作成されなかったため、柴崎の剱岳登頂は、公式には記録に残らないものとなった。しかし、登れないとされた山の登頂に成功した。このエピソードは、おそらく陸地測量部、そしてその後の地理院の測量官の誇りとして語り継がれたのだろう。剱岳測量100周年を記念して、立山・剱の集成図が更新され、また剱岳の山頂には、もはや用のないはずの3等三角点まで設置されることになった。そして、晴れてこの三角点に「点の記」が作成され、選点者として柴崎芳太郎の名が記されることとなった。

 

更新された剱岳はウォッ地図でも見ることができる。

 

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