5月末に立山の麓にある文科省の登山研修所で、指導者研修の講師を務めた。僕が受け持った研修日の前日の夜に到着するなり、その日の実技のまとめの場に通された。受講者15人は全員がプロのガイドかそれに準ずるキャリアの持ち主で、誰もがいかにも山男といういでたちであった。自分が講師として招かれたのは場違いなんではないかという不安すら、頭をかすめた。
その日は救助法のロープワークの実技のようだった。用語のほとんどは理解不能だったが、議論の進み方は興味深かった。彼らはすでにその話題を1時間以上議論しているらしく、いくつかの方法についての各自の選好を聞くことで、議論が収束しかけていた。その時地元のガイドをしているTさんが、一般的に知られているセルフレスキューの結び方では、結び目が移動してしまうのではないかという疑問を呈して、議論は再び沸騰した。
最初は、Tさんの意図が通じないようだったので、誰かが実際にロープの切れ端を持ってきて、別の参加者を実験台にしてやってみると、確かに結び目が移動する。下手をすると半分つり上げたところで、上にも下にも動かせなくなってしまう。「『そんなこと分かっとる。それでどうした』っていうんならええんよ。だけんど、それ分かって使っているんかなあ」と、Tさんがいう。問題があるからだめだ、という絶対的な思考ではなく、リスクを承知することで、現実的にそれが回避できるのだ。Tさんはそう考えているように見えた。その洗練された思考過程と田舎っぽい方言(失礼!)とのミスマッチが面白かった。富山県の山岳警備隊が最強として名をはせ、登山研修所が立山にあるバックグラウンドをかいま見た気がした。
同時に、ロープと地図という対象の違いはあっても、自然を相手にする実践の背後には、共通のアプローチがあることも興味深かった。翌日の読図とナヴィゲーションの講習を、彼らはこちらの意図以上に楽しんでくれた。